【試し読み】平野啓一郎最新短篇集『富士山』③「鏡と自画像」

平野啓一郎『富士山』 10年ぶりの短篇集 刊行記念特集

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すべてを終わらせたいとナイフを手にしたその時、あの自画像が僕を見つめていた。

何人殺せば、死刑になれるのですか? 虐待された過去と共に生きる孤独な青年は、架空の新宿区役所職員に尋ねる。やがて「計画」は、彼のたった一つの生の慰めとなる。犯行を決断し、ナイフに手を延ばそうとした彼を見つめていたのは、あの日、目にしたとある画家の自画像だった。

平野啓一郎さんの最新刊『富士山』(10月17日発売)は著者10年ぶりとなる短篇集。ごくありふれた人物の「あり得たかもしれない人生」を描いた5つの短篇作品の、それぞれ冒頭部分を5日間連続配信します。第3回は「鏡と自画像」です。

 平野啓一郎さんからメッセージです。
「あり得たかもしれない幾つもの人生の中で、何故、今のこの人生なのか?──幸福の最中にあっても、不幸の最中にあっても、この疑問が私たちの心を去ることはないだろう。誰かを愛するためには、自分の人生を愛せないといけないのか? それとも、自分の人生を愛するために、私たちには、愛する誰かが必要なのか? 些細なことで運命が変わってしまう。これは、絶望であるかもしれないが、希望でもあるだろう。私たちの善意は、大抵、ささいなもののように見えているのだから。私たちが前を向くきっかけは、確かに、どこにでもあり得る」

読者の皆様からも「死刑になりたいという主人公の半生が、淡々と語られていて、引き込まれる」「共感しちゃいけないと思いつつ、共感する部分がある」との声をいただいている話題の短篇をお楽しみください。

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 辛くなると、痛み止めを飲むように「計画」のことを考えた。するとその間だけは、少し心が楽になった。
 以前なら、自分一人で方をつけることを考えたが、一度試みて失敗してからは、その苦しみの記憶を、半ば無意識に忌避するようになった。死よりも死の苦しみを恐れる人が多いのは、尤もだと思う。
 死刑になりたい、、、、、、、という願望は、最初は、間違えて届いた手紙のような感じがした。まったく身に覚えがなかったが、しばらくすると、そうでもない気がしてきた。一種の発想の転換だった。そのチャンスは、成人になってさえいれば、学歴にも年齢にも関係なく、実は、誰にでも開かれている。今の時代に、そんな平等もないだろう。
 それから、漠然と国家という存在のことを考えるようになった。それが自分を殺すというのは、どういうことだろうか。
 倫理の授業で『リヴァイアサン』という昔の本の表紙を見たことがある。山の向こうから、剣と杖を持った王様みたいなのが、ぬっと姿を現しているのだが、よく見るとその体は、無数の人間によって作られているのだった。死刑というのは、多分、その体の一部の気持ちの悪い部分を毟り取って、指で潰して捨てるようなことなのだろう。
 国家が、それで何か、いいことでもしたような気になっている様を想像すると、何とも言えないおかしさに駆られて、しばらくは、思い出し笑いの発作に苦労した。それから、堪えた分だけ気持ちが荒んだ。
 自分が絞首刑に処される様子を、出来るだけグロテスクに想像した。誰にとっても、虫唾が走るほど不快であってほしかった。
 もちろん、最初はただ、そんな妄想を、人知れず弄んでいただけだった。しかし、観念というのは、冗談の通じない人間に似ていて、いつの間にか、こちらの本気を信じ込んでいるのだった。そうして最初は、中身が空っぽの手紙のようだった願望は、しきりに具体化されたがり、「計画」を促すようになった。