【試し読み】平野啓一郎最新短篇集『富士山』④「手先が器用」

平野啓一郎『富士山』 10年ぶりの短篇集 刊行記念特集

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子どもの頃にかけられた、あの一言がなかったなら。

「ともちゃんは、やっぱり手先が器用ね。」── やさしい祖母はいつもそう言ってわたしを褒めてくれた。何事にも冷淡だった母は、その一言に何を思っていたのか。

平野啓一郎さんの最新刊『富士山』(10月17日発売)は著者10年ぶりとなる短篇集。ごくありふれた人物の「あり得たかもしれない人生」を描いた5つの短篇作品の、それぞれ冒頭部分を5日間連続配信します。第4回は「手先が器用」です。

 平野啓一郎さんからメッセージです。
「あり得たかもしれない幾つもの人生の中で、何故、今のこの人生なのか?──幸福の最中にあっても、不幸の最中にあっても、この疑問が私たちの心を去ることはないだろう。誰かを愛するためには、自分の人生を愛せないといけないのか? それとも、自分の人生を愛するために、私たちには、愛する誰かが必要なのか? 些細なことで運命が変わってしまう。これは、絶望であるかもしれないが、希望でもあるだろう。私たちの善意は、大抵、ささいなもののように見えているのだから。私たちが前を向くきっかけは、確かに、どこにでもあり得る」

読者の皆様からも「記憶が引き出される装置のようなショートショートだった。」「こんなに短い話なのに、泣いてしまった。」「宝物のような掌編!」との声をいただいている話題の短篇をお楽しみください。

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富士山

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 振り返ってみるにつけ、母は不器用な人だったと思う。決して悪い人ではなかったが、人を褒めるということがうまくできず、子供の頃は、冷たいと感じることもあった。テストで良い点を取っても、かけっこで一番になっても、その話を聞いた母の反応は、そっけないものだった。父とうまくいかなかった理由も、一つにはそれだったと思う。
 母のそういうところを冷静に見ていたのは、祖母だった。母は多分、子供の頃からそんな感じだったのだろう。
 祖母は、わたしにやさしかった。同居していたので、母に褒められ足りない分は、いつも祖母が褒めてくれた。
 祖母は裕福で、おっとりとした品の良い人だった。
 わたしが小学二年くらいの頃だった。ある日、外出前に着替えをしていた祖母は、
「ともちゃん、ちょっとこっちで、おばあちゃんのお手伝いしてくれる?」
 とわたしを呼んだ。居間には母もいた。
「おばあちゃんね、今日は真珠のネックレスをしていくんだけど、首のうしろでこれを留めてくれなあい? ともちゃんは、手先が器用だから。」
 真珠というものを、わたしはその時、初めて目にした。きれいだった。ほのかに虹色を帯びた白銀の玉の中に、ぼんやりと、わたしの姿も映っていた。
「おばあちゃんの宝物なのよ。できる、ともちゃん? この金具をこうやって開いて、引っかけるのよ。」
「うん! やってみる。」
 祖母は椅子に腰掛けると、わたしに背中を向けてじっとしていた。少し手こずったが、わたしはどうにか留め具をはめることができた。
「ああ、よかった。ありがとう。ともちゃんは、やっぱり手先が器用ね。」
 感謝されて、わたしはうれしかった。小さな時には、大人が大切にしているものには、大抵、触らせてもらえないものだが、祖母が自分の「宝物」を、その短い時間、わたしに委ねてくれたことがうれしかった。それに、祖母が自分のことを「手先が器用」だと思っていたことも。わたしはその期待に応えられたのだった。

 実際は、わたしは特に、「手先が器用」な方でもなかったと思う。祖母がわたしを観察していて、本当にそう思っていたのか、ただ、何の気なしに言ったのか、さびしそうなわたしの自尊心を満たそうとしてくれたのかは、わからない。ともかく、わたしは祖母にとって「手先が器用」な子なのであり、それからは、針仕事で針穴に糸を通したり、一緒にこよりを作ったりと、祖母をよく手伝うようになった。
 わたしは、自分でもいつの間にか、祖母の言葉を信じていた。学校でも、「手先が器用」なことを求められる作業には、率先して手を挙げた。図工が楽しくなり、クラスメイトからも、「手先が器用」と言われるようになった。わたしが活発な性格になったのは、その頃からのことだった。今、アパレル企業でパタンナーという仕事をしているのも、元を正せば、この祖母の一言があったからだろう。

※この続きは、発売中の平野啓一郎『富士山』でお楽しみください。

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Audible版『富士山 』 | 平野 啓一郎 | Audible.co.jp

『富士山』特設サイト|平野啓一郎 (k-hirano.com)