搭乗時間まで、まだ二時間半もあり、小島は途中でフードコートに立ち寄った。カフェの前には三組が待っていて、メニューの表示を遠くから眺めつつ、最後尾に並んだ。
すると、大柄の白人の女性が、彼を押しのけるように、無言で割り込んできた。突然のことに面喰らって、「すみません、並んでたんです。」と後ろから声をかけた。女は振り返らなかった。もう一度、言ってみたが、やはり無視された。腹が立ったが、ひょっとすると、耳が不自由なのだろうかと、前に回り込んで、「すみません、僕が並んでたんです。」と身振りを交えて言った。更に一つ前の男性が、驚いて振り返ったが、しかし、彼女は、目を合わそうともしなかった。
こうなると、為す術がなかった。たかがコーヒーの順番くらいと思う余裕もなく、小島は、尋常でなく頭に来た。店員が、このやりとりを見ていたかどうかはわからなかったが、次を呼ばれると、彼女は何事もなく前に進み、一転して柔和な笑顔で会話を始め、クリームがたっぷり乗ったアイスラテを注文した。
搭乗便はその後、遅延の告知を繰り返し、結局、四時間遅れの出発となった。その時間を、独り無言で過ごした小島の憤懣は、疲労も相俟って大変なものだった。しかし、その怒りは、どこか力が入らないような、胸の奥底でいつまでも立ち上がれないような、激しい割に無力なものだった。
機内はさすがに日本人が多く、アナウンスも英語と日本語とで、そのことに安堵している自分に気がついた。
あれは何だったのか? シートベルトのサインが消えると、恐る恐る背もたれを倒し、肘置きに辛うじて触れる程度に肘をかけて目を瞑った。彼女の人格的な問題なのか、機嫌なのか、それともやはり、アジア人として差別されたのか。――わからなかった。それほどのことにさえ、確信を持てない自分の四年間のアメリカ生活を思った。動画でも撮影しながら、もっと強く抗議すべきだったのではないか。今なら幾らでも、その言葉が思い浮かぶのだが。
十一時間のフライトの後、羽田に到着したのは、夕方の七時頃だった。機内ではほとんど眠れず、映画を三本見て、仕事のメールにひたすら返事を書き続けていた。
頭がぼんやりしていて、疲れていたが、それよりも、胸に蟠っていた憤りが、時間をかけて増殖し、血の流れに乗って体の隅々にまで拡がってしまったような感じだった。勿論、熱もなく、どこか具合が悪いというわけでもないので、検疫は、彼がシアトルから厄介な「ストレス」を国内に持ち込もうとしていることなど、知る由もなかった。
小島は、お粗末な機内食のせいで、腹が減ったような、減ってないようなという感じだったが、手荷物受取所を出てから、空港の中の蕎麦屋に向かった。蕎麦と言うより、無性に天ぷらを食べたくなったのだった。
店内は混み合っていて、大きなスーツケースを入口で預け、端のテーブルに着席すると、作務衣にエプロン姿の若い女性店員が注文を取りに来た。