アイドルを消費する――その意味とは? アイドル好きの二人が考えるアイドルとオタクの距離感。『アイドルだった君へ』刊行記念対談 後半

『アイドルだった君へ』特集

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 「推し活」という言葉が一般化して久しい。かつてアイドルを熱心に応援するのはもっぱら10代、「若き日の過ち」のような受け止められ方が大勢を占めていた。しかし、今はそんな見方をする人は少ない。女性が女性アイドルを、男性が男性アイドルに声援を送ることも珍しくなくなった。
 アイドルとファン、あるいはオタクの関係性もまた時代と共に変わってきた。「女による女のためのR-18文学賞」の第14回の読者賞受賞作「くたばれ地下アイドル」の著者である作家の小林早代子さんは、自身、熱心なアイドルファン。特に応援してきたのはSTARTO ENTERTAINMENTのタレントたち。同作を含む文庫『アイドルだった君へ』(『くたばれ地下アイドル』改題)の発売を機に、実現したのがアイドルオタクブロガーとして知られる「あやや」さんとの対談である。
 かつてとは比べ物にならないくらいの市民権を得たにもかかわらず、アイドルオタクたちには様々な悩みや葛藤があるという。 一体それは―。

 

アイドルと人権

あやや 以前アイドルオタクの友だち3人と、アイドルの話をするためのLINEグループを作成しました。最近そのグループで、「推し活をしているときに、アイドルを消費しているという感覚があるかどうか」という話で盛り上がったんです。グループの中では、「ある派」と「ない派」で2 2 に分かれました。私はどちらかというと消費している感覚は「ない派」ですね。

小林 面白い! あややさんに消費している感覚がないというのは、どうしてですか?

あやや ちょっと冷たく聞こえるかもしれないですけど、アイドルを商品として見ているんです。運営からのお知らせや公式のSNSで発信されている情報をもとにアイドルについて考えるとき、そこに書いてあること以上に妄想を膨らませるんじゃなくて、できるだけ書いてあることに忠実にアイドルを見ようと思う。余計なバイアスを持たず、事実からズレない。だから、そこまで消費しているという感覚はないんだと思います。もちろん商品としては「消費」しているんだけど、それ以上でも以下でもない。なので「ない派」ですね。
逆に「ある派」の友達は、アイドルのことを必要以上に掘り下げて考えてしまうそうです。たとえば公式の発表はポジティブなものでも、本当は嫌がっているんじゃないか、たとえ嫌な思いをしていても逆らえなくて苦しんでいたらどうしよう、とか本人が言っていないところまで想像してしまう。そこをとらえて「商品」を越えて、彼らの「人生」とか「人格」までも消費している感覚があると言ってました。

小林 それでいうと、私は、そのお友達とはちょっと違う考えですが、「ある派」と言えそうです。というか、アイドルを推すことは、その人を消費することに他ならないし、推し活をしているとき自分はアイドルを消費しているんだということを、忘れないように意識しているかもしれません。

あやや その消費しているということに対して、罪悪感みたいなものはありますか?

小林 うーん、難しいな…。

あやや もちろん、白黒はっきりつけられるものではないと思うんです。ただ、なんで自分は消費している感覚があまりないんだろうと考えたとき、私はその人の夢を応援している感覚が強いんだなと思いました。例えば、職場の人が夢を追いかけて転職する時に頑張ってねって思う気持ちと、アイドルを応援しているときの気持ちは私にとって同じなんです。

小林 アイドルって舞台に出るまでに、すごく頑張るじゃないですか。若いとき、というか早い人は小学生くらいから遊びたい気持ちを抑えて、青春とかいろんなものを犠牲にしたうえで、めちゃくちゃ頑張っている。そして、私はその一番美味しくて楽しいところだけを見せてもらっているーーそう思っているから、消費している感覚があるのかもしれないです。むしろ、自分の代わりに頑張ってくれているとも思っています。