乱暴に過ぎていく毎日を生きるための応援歌!小林早代子『アイドルだった君へ』収録作「寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ」試し読み①

『アイドルだった君へ』特集

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書影イラスト:ido
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 女による女のためのR-18文学賞読者賞を受賞し、『たぶん私たち一生最強』や『みんな、好きが下手』など、とにかく文章が読み手の心に刺さることで話題の作家、小林早代子さん。

 R-18文学賞読者賞受賞作を収録した『アイドルだった君へ』(新潮文庫)のテーマは「アイドル」。アイドルやファンだけでなく、その家族や友人など、様々な立場からアイドル文化を語り尽くした珠玉の短編集です。

 その最終話「寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ」を全5回にわたり特別公開いたします。
アイドルオタクに求められる倫理と現実の乖離に、戸惑いもがき振り回される姿を描いた短編を、
お楽しみください。

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アイドルだった君へ

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 三年目っていうのは転職したくなる時期なんだよって先輩は言う。そんな誰にでも来る思春期みたいに言わないでほしい。あんたがどうだったか知らないけど私の辛さを一般化しないでくれよ頼むから。
 仕事に慣れてきて中だるみする時期と言われている入社三年前後の社員を対象に、モチベーションの向上を主目的とした一週間の宿泊研修が用意されていた。六日目の夜、研修プログラムを全て終え、あとは懇親会と翌日の移動を残すのみとなり、私はただ疲弊していた。研修でモチベーション上がる奴って存在すんのかな? 一刻も早く逃げ出したい思いを強めるイベントに過ぎないんだけど。この研修にかかる費用の分だけ給料に上乗せしてくれた方がよっぽどモチベーションは上がる。人事課の連中もわかってるけど慣習だからっていう惰性でやってんだろどうせ。
 職場に強い不満はないけど強いやりがいもない。こうはなるまいって思う人はいてもこうなりたいって思う先輩はいない。あらゆることが、ほんのちょっとずつ自分にハマっていないけど、そのどれもが致命的ではなく、要領が悪くないせいで何となくやりすごせてしまう。定年まであと三十五年。永遠か? 永遠にこのままやり過ごし続けるのか? ここではないどこかへ行けば何かが好転する気がするっていうのはやっぱり甘いのだろうか。
 入社当初は二十数人いた同期も十人ちょっとに減っていた。スマートフォンが当たり前に普及した今、昔のように足を棒にしなくても、意志と指先を動かせば少ない労力で転職を成功させることができる。執着するような待遇じゃないことはわかっている。その実、ひどい職場じゃないってこともわかっている。気分転換だ! っつって、ポリシーなく転職しちゃいたいけどその勇気も自信も今のところ、ない。
 半ばノルマみたいになってる上役へのお酌もひと段落し、同期の女たちで寄り集まって卓を囲んだものの、研修会場の宴会場ともなれば目の届くところに人事課の社員がいるわけで、おおっぴらに仕事の愚痴や横行している社内不倫についての話題を出すわけにもいかず、いまひとつ盛り上がりに欠けるままちびちびと酒を飲んでいた。そんな中、一人が「そういえば、私の推し、、が最近逮捕されたんだけど…」と切り出したのでみんな思わずヒッと息を飲み、「何で何で何で何で!?」とにわかに場が沸いた。
「淫行…」
 ああ…とその場の女たちの口からため息ともつかない呻きが漏れる。
 推しとは、もともとアイドルファン用語で、自分の応援しているメンバーのことを「推しメン」と表現したのがおそらく始まりだが、今となっては意味が広がり、アイドルだけでなく俳優や漫画のキャラクターなど、ご執心の存在なら何でも「推し」と呼ぶのが一般的になっている。確かこの子の推しは若手声優だったはずだ。
「推しが逮捕されるってどんな気持ち? ねえどんな気持ち?」
「いや、うーん、何ていうか…率直に言うと、私の力不足だったかなって」
「意味わかんない。あんた関係ないよ」
「関係ないとか言わないでよ! そんなの私が一番わかってるよ!」
「淫行かー。それはきっついね。せめて飲酒運転とかなら…」
「いや飲酒運転の方がダメでしょ! 人が死ぬかもしれないじゃん!」
「でも淫行よりは飲酒運転の方が犯しちゃった気持ちに寄り添えるよ!」
「だから寄り添う必要ないんだって」
 その点推しが二次元の私に死角はない、と十年くらいずっと同じ漫画の同じカップリングで二次創作を続けている女がドヤ顔で言い張り、うーん全っ然羨ましくない! と口々に言い合う中、きょとんとした顔でしばらく口を閉ざしていた森田愛梨が、細い首を不思議そうに傾げて「みんな、推しとかいるもんなんだ? 推しっていう概念がそもそも私にはよくわかんないんだけど」と言い放った。
 女たちに「はあ? あんた何のために働いてんの?」と問いただされた愛梨は、「いや、自分のためだよ! それ以外にあんの?」と何をわかりきったことを、という表情で答えた。
「推しを推すためでしょうよ」
「推しを推すっていうのは推しのためでもあるけど間接的に自分のためでもあるから…」