乱暴に過ぎていく毎日を生きるための応援歌!小林早代子『アイドルだった君へ』収録作「寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ」試し読み②

『アイドルだった君へ』特集

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書影イラスト:ido
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 女による女のためのR-18文学賞読者賞を受賞し、『たぶん私たち一生最強』や『みんな、好きが下手』など、とにかく文章が読み手の心に刺さることで話題の作家、小林早代子さん。

 R-18文学賞読者賞受賞作を収録した『アイドルだった君へ』(新潮文庫)のテーマは「アイドル」。アイドルやファンだけでなく、その家族や友人など、様々な立場からアイドル文化を語り尽くした珠玉の短編集です。

 その最終話「寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ」を全5回にわたり特別公開いたします。
アイドルオタクに求められる倫理と現実の乖離に、戸惑いもがき振り回される姿を描いた短編を、
お楽しみください。

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アイドルだった君へ

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 推しという概念がわからない「人間マッチングアプリ」こと森田愛梨と私は、趣味は全然合わないけどなぜか気は合って、しばしば合コンの人数合わせなどにお声がかかり、誘われるがまま参加したりする仲だった。堅実めの社員が多い職場でパリピ寄りの愛梨ははっきり言って浮いていて、中には露骨に彼女を軽視している人も多い。「ちさぱい今週末飲もうよー」なんつって私のデスクまでひょこひょこやってくる愛梨に対して周囲で含み笑いの目配せが行われたり、愛梨の話題を出すと「ああ、あの森田(笑)ね」と嫌なやり方で笑われたりすることもままあるが、義憤に駆られて彼女を庇うでもなく、そうですーその森田ですーなんつって適当にやり過ごす私の良心が痛んだりすることは別にない。
 私が神谷と出会ったのも愛梨に誘われた飲み会だった。
 神谷は、愛梨が学生時代にインターン先で知り合った男の子の就職先の同期とか、確かそんなんだったと思う。毎週末フットサルやってますみたいな顔した根アカの男と連れ立ってやってきた神経質そうなメガネが神谷だった。
「ちさぱいはー、ちさぱいって呼ばれてるけどおっぱいは小さくないから大丈夫だよー脱いだらすごいんだよー」
 愛梨は飲み会の度に自己紹介のくだりで律儀に説明してくれるけどそもそもお前しかそのナメたあだ名で呼んでねーんだよと思いつつ私も毎回「もうちょい夜が更けたら巨乳ギャグ披露しますねー」と大してウケるわけでもないやりとりを繰り返してしまうし、万一に備えて巨乳ギャグは二つほど用意してある。
 二度と会うこともないような人間との飲み会に慣れると、その場しのぎの受け答えばかり上達してマジレスの仕方を忘れる。
 浅いとか深いとかダサいとかオシャレとかいうマウンティングと無縁で、掘り下げられすぎることもなく、かつまるきりの嘘でもない合コンコミュニケーションを私は常に模索している。
 趣味を聞かれれば「最近は献血ですかねー。成分献血って知ってます? 血から必要な成分だけ抜いてあとは戻すやつなんですけど、ヌくのもイれるのもできるんでお得ですよ」つってライトな下ネタで場をあっためる。好きな音楽の話になれば、誰でも知ってて音楽通にもウケが良くて気取ってないバンドの最適解ことスピッツを申告する。私がリアルに多用している最新版合コンさしすせそは「さすがっすわー」「しんど!」「すさまじいね」「世紀末かよ」「それマジのやつじゃん(あるいは「そういうとこあるよね~」)」でファイナルアンサーです。とりあえずその場をしのぎたい、モテを重視しない方のみ参考にしてください。
 ドルオタの集いでも何でもない飲み会の場でアイドルが好きなんて言うのは悪手、コミュニケーションの摩擦が生まれてお互いにそよそよとしたストレスを感じるだけだ。だからこそ、フットサル顔が「俺は休日はだいたいフットサルやってるなー」と清々しいほど意外性ゼロの発言をした後に神谷が「僕の趣味は、専アイドルですね」と言ってのけた時、へーお前の合コンスタンスそういう感じなんだ? 私が言うのも何だけどモテる気あんのか? と一抹の不安を覚えた。
 愛梨は、「おっ、ちさぱいもわりとアイドル好きじゃなかったっけ~?」と、私がどの程度の熱量でアイドルを語るかを委ねる言い方でトスを上げた。愛梨はパリピだけど空気が読めるので、合コンの場で私がドルオタであることと遠恋中の彼氏がいることは基本的に伏せておいてくれるのだった。
 神谷に推しているアイドルを尋ねると、川上ももなっていう子なんですけど…と私が女子ドルで今一番注目している女の子の名前をあげたので、「おっ、もにゃ推しなんですね~」と相槌を打つと、「もにゃをご存知なんですか!?」と眼鏡の奥の目をかっぴらいた。もにゃこと川上ももなちゃん十四歳は女子アイドルグループを多く擁する大手事務所の研修生だ。昨年夏に行われた入所オーディションの合格者発表の時に、ほかの女の子たちが不安そうに瞳を震わせている中、半ギレの目で審査員一同を睨みつけるように見ていた視線が印象的だったので私の研修生レーダーに引っかかっていた。私がもにゃを把握していることに神谷はたいそう興奮し、もにゃがいかに天使で自分の生きる喜びになっているかということを滔々とまくしたて始めた。うわ~。こいつ喋るタイプのオタクか~。この時点で愛梨は神谷を完全に度外視し、フットサル顔にフルスロットルの構えを見せていたので私も気合いを入れて爆弾処理業務にかかることにした。