俳優・美村里江さんの心を打ったプロバレーボール選手の言葉とは? 『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』試し読み
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オリンピック、パラリンピックなど大きな国際大会が開催されるたびに、大舞台で活躍するアスリートたちの姿が報じられます。彼らの多くは悩みや葛藤、苦しさを抱え、それを乗り越えて勝利をつかんできました。
本書はそんなアスリートたちの言葉をアドラー心理学の視点から解釈し、競技スポーツに身を置くすべての人たちのみならず、日常を生きる私たちへも人生に役立つ「ヒント」を提供してくれます。
その中から、俳優・美村里江さんがもっとも心に残ったという戸嵜嵩大選手(バレーボール)の言葉を抜粋・編集し、試し読みとして公開します。
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「この数年間は本当につらかったし、人生のどん底に突き落とされてここまで戻ってくるのはすごく大変だった。1度は諦めかけた東京オリンピックだったけど、リレーメンバーとして決勝の舞台で泳ぐことができてすごく幸せだなと思った」
─―池江璃花子選手 オリンピック3大会日本代表(競泳)
(2021年8月2日 NHK 東京オリンピック・パラリンピック特集)
「病気で歩けなくなって、バレー嫌いになって辞めそうになって、でもたまたま観に行った春高で『あの人みたいになりたい』って思ってバレー続ける決断をして……。まさか14年後、その憧れた人と同じチームでプレーできるなんて。『選んだ道がまた1つ大正解になりました』」
─―戸嵜嵩大(とざき・たかひろ)選手 プロバレーボール選手
(2023年7月1日 戸嵜嵩大選手のTwitterへの投稿)
ここまで、自分の人生の主役は自分自身であり、主体的に生きることの大切さを述べてきましたが、身体的な劣等性や環境的な条件、家庭環境や遺伝的な資質などは、自分でコントロールすることが難しいというのもまた事実であり、無限に選択の自由があるわけではありません。ですが、たとえ何らかの制限や限界があったとしても、それ以外のことは自分で決定できるということを覚えておいてください。このことを、アドラー心理学では「やわらかな決定論」と呼んでいます。
オーストリア出身の精神科医であるヴィクトール・E・フランクルは、アドラーの影響を受けた心理学者の一人です。彼は、約3年間にわたるナチスの強制収容所での体験を元に『夜と霧』を執筆し、世界中でベストセラーになりました。
フランクルはこの書籍の中で、強制収容所での過酷な重労働や看守からの暴力、深刻な飢え、迫りくる死の恐怖などに苦しむ環境にあったとしても、周囲の人間に優しい言葉をかけ、なけなしのパンを弱った仲間に譲る人たちを見て、「そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』 みすず書房 2002年)と綴っています。
競技スポーツの世界においても、何らかの制限や限界があっても自分自身の行動を自分で決定し、トップアスリートとして活躍する人たちが数多くいます。競泳の池江璃花子選手は、16歳でリオデジャネイロオリンピック(2016年)に出場し、2018年のアジア競技大会では日本人初の6冠を達成して、世界ランク1位にのぼりつめました。そして、女子自由形では、2004年のアテネオリンピックで柴田亜衣選手が金メダルを獲得して以降、金メダリストが一人もでていませんでしたから、池江選手には東京オリンピックでの金メダルが期待されていました。
ところが、2019年2月、女子競泳のエースとして期待を一身に浴びていた池江選手を、思わぬ大病が襲います。白血病でした。この時、池江選手は18歳の高校3年生でした。それまで自分の人生をかけてきたものを喪失し、さらには長期に及ぶ療養生活に入らざるをえなくなった池江選手の気持ちを思うと、本当に胸が痛みます。当時を振り返り、池江選手は「心が折れていました。本当に一番しんどい時は『死にたい』って思いました」(2020年2月20日 サンケイスポーツ)と述べています。
ですが、競泳への思いを胸に努力を続けた池江選手は、2021年に開催された東京オリンピックの舞台に立ちました。そして、競技を終えて語ったのが冒頭の言葉でした。
18歳の少女には、白血病を一瞬で完治させることなどできなければ、療養によって衰えた体力を簡単に取り戻すこともできなかったはずです。それでも、池江選手は自分自身の行動を自分で決定し、諦めずに進む道を選び、最終的に世界の大舞台に帰ってきたのです。
また、プロバレーボール選手として活躍している戸嵜嵩大選手は、中学2年生の時に大腿骨頭すべり症を発症しました。この病気は、大腿骨(太ももの骨)の端部が正常な位置からずれてしまう病気で、戸嵜選手は2年にわたる闘病生活を送ることになりました。
「みんなと同じこと、以前まで普通にできていたことができない」(2021年7月12日NumberWeb)日々が続き、一度はバレーボールを辞めると決めた戸嵜選手でしたが、観戦に行った全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)で、転機が訪れます。戸嵜選手は、後にバレーボール男子日本代表となる柳田将洋選手のプレーを観て、「あの人みたいになりたい」とバレーボールを続ける決断をしたのです。そして、諦めずに進み続けた未来で、戸嵜選手はプロバレーボール選手になりました。
冒頭で紹介した戸嵜選手の言葉は、自分に力を与えてくれた柳田選手とチームメイトになった時のものです。中学2年生の少年は、病気によって歩くことすらままならない喪失感の中にあっても、自分自身の行動を自分で決定し、その自分が「選んだ道がまた1つ大正解」になるまで努力を続けてきたのだと思います。
戸嵜選手は、病気の影響で現在も股関節の可動域が狭く、「もっと柔らかければ、もっとレシーブも拾い易いのかなと思ったりします」(同)と述べています。そのような制限や限界があったとしても、それ以外のことを自分で決定し、そして「選んだ道がまた1つ大正解」になるまで歩みを止めないであろう戸嵜選手の姿から、多くのことを学べるのではないでしょうか。
このように、生きていれば自分の力ではどうにもならないことに何度もぶつかりますが、自分の夢や目標にどのように向かっていくのかを、私たちはいつでも決めることができるのです。「自分にないもの」を数えることをやめ、今の「自分にあるもの」を使って未来の自分のために何ができるか、どんなふうに創意工夫していくのかを問い続けることが大切なのです。
※つづきは新潮社より発売中の『意味ある敗北とは何か─アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉─』でお楽しみください。
【BOOKレビュー】「勝ち、成功、強い」にも「負け、失敗、弱い」にも意義がある。「選んだ道が大正解になった」アスリートの言葉から俳優・美村里江さんが想うこと


