クリープハイプ「痛々しいラヴ」×千早茜 特別寄稿「Water」

クリープハイプ「痛々しいラヴ」×千早茜 特集

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古い木造アパートの 2 階、1DK の部屋。錆びた外階段を鳴らす足音が聞こえ、二つ折りのケータイを閉じる。あの頃、好きだった君と、もう思いだせない君との生活のにおい。

クリープハイプ・尾崎世界観さんが漫画家・魚喃キリコさんへ、追悼の思いを込めて書き下ろした楽曲「痛々しいラヴ」 。その思いに重ねて、作家・千早茜さんが短編小説「Water」を寄稿しました。

通り過ぎてきたそれぞれの「あの頃」と、誰かを想ういくつもの「いつか」が響き合う本作と「痛々しいラヴ」は、魚喃作品を愛するおふたりが魚喃さんへ、そして魚喃作品を愛する皆様へ送る協奏です。

是非、併せてご堪能ください。
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Water 千早 茜

 あの頃、いつも体がだるかった。
 君もなんだかだるそうで、お互いにもたれかかるみたいにして暮らしていた。 
 あたしたちの暮らし。それは、古い木造アパートの二階にあって、錆びた外階段を鳴らして帰ってくる君の足音は住人の誰より気怠げで、すぐにわかった。
 玄関を開けたらすぐに台所。あとは、八畳敷の部屋がひとつ。だから、どこにいたって帰ってきた君はすぐ目に入る。
 細っこい手足に薄い体。いつも言い訳みたいにギターを背負って、「なんかないの」と長い前髪のすきまからあたしを見る。君の「なんか」はいつも食べ物のことで、お腹をすかせた捨て犬のようでかわいかった。あたしは「おかえり」と笑って、ケータイを閉じて立ちあがる。そうだ、あの頃ケータイは二つ折りだった。
「なんか、作るよ」
 そう言うと、君はほっとした顔をして、ベランダに煙草を吸いにでる。君はベランダ、あたしは台所の換気扇の下が喫煙の定位置で、唯一の縄張りみたいになっていた。アパートの裏手には小さな川があって、雨の日は下水の臭いがあがってくるからベランダを開けないで欲しいのだけど、君は煙草にだけは律儀で雪の日も台風の日もベランダにでた。灼熱の太陽の下でも汗をだらだら流して煙草を吸う。その間にあたしは焼きうどんとかチャーハンとか、フライパンひとつでできるものを作る。目玉焼きをのせると喜んだ。
 文字通り、あたしが食わせてやっていた。毎朝、五百円玉か千円札をちゃぶ台に置いて会社に行っていた。それなのに、君はいつもお腹をすかせて帰ってくる。あたしが置いていったお金を煙草やレンタルビデオに使ってしまうから。そうして、悪びれもせず夜中まで映画を観て、朝は起きられない。
 いま思えばとんでもない話。
 いや、当時だってわかってはいた。あたしの友人たちからの君の評価は最悪。ゼミで一番早く就職を決めたカナコには、会うたびに「この先どうすんの」「そんな生活いつまで続けんの」と叱られていた。あたしはへらへら笑ってバカのふりをする。会社でもあたしはバカのふり。クレームの電話を受けるたび、「バカでもできる仕事だよなあ」と罵られるたび、バカでいないとできないんだよ、と思う。そんな仕事に、そんな生活。
 しんどい恋を何度かして、就職浪人中のバイト先で君に出会って、そのうち君が転がり込んできて、応援したいとかなんとか言って繋ぎとめて、気づいたらお金を渡すようになってて、でも、君がいないとバカみたいな仕事には耐えられなさそうで、君の柔らかい癖毛や顎のライン、ギターを弾く指先、そんなものを眺めるために生きているんだと思い込んでいた。ほんとバカみたい。もう、あれだけ好き好き言っていた君のにおいも思いだせないのに。
 君のにおい。煙草と下水の臭いがまじった君との生活のにおい。どこにいったんだろうね。どこかにきっとまだあるのかな。思いだそうとすると、だるくなる。安いお酒を飲んだみたいに。酔ったときだけ流れる涙みたいに。
 平凡な、どこにでも転がっている生活だと思っていたけど、あれは違った。君のこと、もう彼氏というより子供みたいだと思っていたけど、それも違った。違う人と結婚して家族を持って、やっと知った。
 もう煙草も吸わなくなって、君が好きだった古い映画のタイトルも忘れて、君の連絡先も消してしまって、それでも、うすく願っている。
 いつか、どこかの街角で、君の歌を聴けますように。