こいごころ

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 黒一面の闇と見まごう夢の内に、突然、小さな明かりが見えてきた。
「えっ?」
 場久が驚いている内に、明かりは裂け目となり、紙が破れるように四方へ広がっていく。大きくなった穴から暗い夢内へ、昼間のような光が漏れ出てきた。
 場久が、それはやっちゃあ駄目だ、止めて下さいと悲鳴を上げたが、止まらない。その時、悪夢を食う妖は、若だんなの目の前から、どこかへ吸い込まれたかのように消えてしまった。布団にいた小鬼達が一斉におびえ、若だんなの袖内へ逃げ込んできた。
(きっと兄や達の仕業しわざだ。兄や達が、入り込んだ者を捕らえようと、夢を引き裂いて、ここへ来ようとしてるんだね)
 納得した時、若だんなは己の身が、どこかへ思い切り、引っ張られるのを感じた。裂けた夢の隙間へ、吸い込まれ落ちて行くと分かった時、顔が引きつる。
「ひえっ」
 声を上げた途端、老々丸が必死に、若だんなの手をつかんで来たが、それでも止まらない。光の向こうに、屛風のぞきの魂消た顔が見え、そこに何故だか、他の妖達まで居たように思えたが、その様子も、ぐに目の前から吹っ飛んで消える。
 気がつけば若だんなは、小鬼達の悲鳴と共に、夢の裂け目の向こう、どこか遠くへ吹き飛ばされていった。

       3

 目を覚ますと、若だんなは茂った木の根元に、もたれかかっていた。
(あれ、私は外にいるんだ)
 頭の上の空は晴れ渡っている。木はつつみに生えているらしく、眼前に、大きな川の流れが見えた。
「見たことがあるような川だ。隅田川かしら」
 だが川向こうにある町の眺めには、とんと馴染なじみがない。
 ただ、若だんなは息をしていたし、どこかが痛むという気もしない。夢の裂け目から放り出されたというのに、運の良い事に、何とか生き延びたようであった。
 するとここで両側から、若だんなを案じる声が掛けられた。三十歳くらいの、背の高い男と、確か唐子という、幼子の髪型をした小さな子が、揃って見つめて来たのだ。唐子の顔に、見覚えがあった。
「若だんな、生きてること思い出してくれ。大丈夫だと言ってくんな」
「あの、息をするのを、忘れないで下さいね。若だんな、死んじまいますから」
 若だんなが頷くと、二人はほっとした顔になる。だが若だんなは、ここで眉をひそめた。
「さっきまで真夜中だったんだ。私は長い間、寝てたんだろうか。それとも夢の内から落ちたんで、日中へ出てしまったのかしら」
 どう考えても半日ほど、時が合わないのだ。すると眼前の男が、夢内の話に驚きもせず、返事をしてくる。やはり二人は、老々丸と笹丸が化けた姿であった。
「我は気を失ったりしなかったが、ここへ落ちた時、辺りは昼間だったよ。夢の内から放り出されたんで、時がずれたんだろう」
 そういう不思議も、これまでに何度か経験していたから、若だんなは素直に頷いた。そして、居なくなった若だんなを探しているだろう、長崎屋の皆のことを思う。
「場所や時刻がずれてしまったとすると、長崎屋の皆に見つけてもらうのは、難しいだろうなぁ」
 きっと皆は今頃、酷く心配している。
「早く長崎屋へ帰らなきゃ。さて、ここは何処なのかしら。老々丸さん、分かってる?」
 すると狐仙は、あっさり首を横に振る。
「正直に言うが、さっぱり分からない。だが…そいつは我達にとっちゃ、ありがたい事でもあると思ってるんだ」
「ありがたい事? 何で?」
「さっき夢を裂いたのは、長崎屋にいる、人ならぬ御仁ごじんだろ? 病の若だんなの為に、夢の内にまでやってこようとしたんだ」
 怒って、夜の夢を切り裂いてしまったのだ。
「あの二人は強いな。しかもかんかんだ。つまり今、この堤に現れたら、我ら妖狐二人を蹴散らし、若だんなを連れ、大急ぎで長崎屋へ帰ってしまうに違いない」
 そして老々丸達は二度と、若だんなと会えなくなるのだ。
「だから…我としちゃ、このまま若だんなとおぎん様を探し、神の庭へ行きたいんだよ」
 駄目だろうかと問われ、若だんなは、決められずにいた問答と、向き合うことになった。
(今度こそ、返事をしなきゃ駄目なんだね)
 そして若だんなは、一寸考えた後…首を横に振った。木の根元から立ち上がり、とにかく一度、長崎屋へ帰りたいと口にしたのだ。
「さすがに行方知れずになったまま、旅へ出る事は出来ないよ」

(つづく)