こいごころ【3】

【試し読み】960万部突破!「しゃばけ」シリーズ最新作『こいごころ』

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イラスト/柴田ゆう
イラスト/柴田ゆう

 兄や達が、妖達が、もし、息子の他出を知ったら両親までもが、若だんなの事をきっと心配する。笹丸の事を考えてやりたいが、長崎屋の皆を忘れる事は無理であった。
「老々丸が笹丸の事を案じているように、長崎屋の皆も、私を心配してるんだもの」
…それは、確かに」
 すると小さな笹丸が、勝手を言って済みませんと謝ってくる。子供の顔がまた、かわいい小狐の顔と二重に見え、若だんなは笑うと、笹丸の頭を撫でた。
「笹丸はよい子だね。優しいし」
 妖狐が、それは嬉しげな顔をした途端、若だんなの袖内にいた妖達が、ぎゅいぎゅい言い出す。
「きょんべっ、我の方が、かわいい」
「きゅい、若だんな、鳴家が一番」
「きょげ、一番よい子」
 だが、小鬼を見た笹丸が、かわいいと言って頭を撫でると、鳴家達はぎゅいぎゅい騒ぎつつも、気持ちよさそうにしている。一方若だんなは、長崎屋へ戻ることに決めはしたが、ただそれだけの事が、今は難しい。
「ここがどこなのか分からないし。それに寝間着のまま、遠くに飛ばされたから、私は今、お金とか持ってないんだ」
 老々丸達は、おぎんを訪ねてゆく為の、路銀を持っているのだろうか。それを問うと、狐仙は、これまでは北の狐達に助けて貰いつつ、旅を続けてきたと言った。
「でも、大丈夫なんだ。寝るのは道ばたで十分だし。川沿いの道なら、魚も捕れるからね」
 街道では、道にある地蔵の前に、お供え物が置かれている事もある。今までの旅で老々丸達は、金に困った事などなかった。
 だが、ここで眉尻を下げると、笹丸が師へ告げた。
「老々丸様、若だんながわれらと同じように、草地に寝たら、熱が上がりそうですが」
 若だんなは病弱なことで、妖狐の間でも高名なのだ。つまり野宿は無理だから、どこか遠くへ行くなら、宿に泊まる為の金子きんすが必要になる。
「それに、きっと魚も生では食べられません。蚯蚓みみず蜥蜴とかげも、好きじゃないと思います」
 だから食べ物をあがなう分の金も、用意せねばならないのだ。
「みみず? とかげ?」
 思わず顔をこわばらせた若だんなが、食べたことはないと言ったところ、人は好き嫌いが多いと言い、老々丸が首を横に振っている。沢山は食べられなくとも、好き嫌いはほとんど無いと思っていたので、若だんなは呆然としてしまった。
 すると笹丸が、にこりと笑った。
「大丈夫ですよ、若だんな。いざとなれば近くにいる妖狐達を頼って、お金を融通してもらいますから」
 野宿はさせないと、笹丸は言う。すると、融通という言葉を聞いた若だんなは、ぽんと手を打ち、辺りを見回した。
「そこを流れてる川が、本当に隅田川で、ここが川の、どのあたりなのか分かったら、私にも、手が打てるかも知れない」
 川下だったら長崎屋の蔵や、茶船ちゃぶねを置いてある場が近い筈だ。両国りょうごく蔵前くらまえ辺りなら、長崎屋の知り合いがいる。もし、もっと北にいる時は、上野近くの広徳寺こうとくじを、頼るのが良いかもしれない。
「きっと、お金を借りられるよ。そこで一休みしよう」
 何より、舟で長崎屋へ帰ることが出来る。とりあえず一緒に来ないかと誘うと、老々丸は、夢を裂いた兄や達が恐いと、少し項垂うなだれた。大丈夫、狐二人のことは守るからと、若だんなが言ったところ、笹丸がうんうんと頷く。
 その時、岸近くを舟がゆっくりさかのぼってきたので、急ぎ船頭へ声を掛けた。病んでいるせいか、声が届かないでいると、老々丸が船頭に、いまいる場所を問うてくれる。
「ここは、蔵前より大分北だよ」
 大川橋に近い辺りだという。若だんなは江戸の地図を思い浮かべると、頼る先は広徳寺に決まったと、妖狐達へ告げた。