こいごころ【4】
【試し読み】960万部突破!「しゃばけ」シリーズ最新作『こいごころ』
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化け狸は大きかったので、背負うのも大変だから、広徳寺まで自分の足で歩かせた。途中、顔が赤い若だんなの具合を秋英が心配していると、傍らで老々丸が、また怖い事を繰り返す。
「化け狸を捕まえたのに、本当に、狸汁にはしないのかい? 上手く作りゃ美味しいよ」
「妖狐の老々丸さん、僧は、肉はいただきません」
「いや坊様、残念だ。笹丸に、精が付く食べ物を、食わせてやれるかと思ったのにな」
途端、笹丸が田貫屋狸に抱きつき、庇った。
「師匠、止めて下さい。かわいい狸さんなのに」
「お、おや。わしはかわいいのかい。小さい化け狐さんは、よい子だね」
田貫屋狸はこの時、すっと目を細めると、笹丸に見入った。そして老々丸や空や、秋英、若だんななどを順に見た後、ゆっくりと笹丸を撫で、また老々丸へ目を向ける。それから化け狸は、何故だか渋い顔で言った。
「化け狐の老々丸とやら、わしを食うでないぞ。後で話す事があるからな。本当は化け狐などと、話したくはない。だが笹丸殿はかわいいから、師匠の狐仙とも話してやろう」
「我には、化け狸に話す事などないが」
狐と狸の言い合いを聞き、若だんな達が溜息をついていると、ようよう広徳寺が見えてきた。皆が直歳寮へ入ると、堂宇の主、寛朝が急ぎやってくる。そして部屋の隅に座り、笹丸に撫でてもらっている化け狸の頭を叩いてから、ほっと息をついたのだ。
「やれやれ、田貫屋さんが、まだ生きておって良かった。この寺から逃げたら、却って危ないと言ったであろうが」
「おや、狸を探していたのは、守る為でしたか」
若だんなが高僧に挨拶をし、化け狸と、道で出会った事情を告げる。破天荒な高僧は、溜息と共に若だんなへ語った。
「この化け狸は、田貫屋さんという名でな。長年人として暮らし、妻までおった者なのだ」
もちろん寛朝は、正体を承知していた。だが化け狸は悪さをせず、稼いで妻を養い、寺へ寄進もしていた。妻とて、亭主が何者なのか承知していたので、ならば構わないと、田貫屋を放っていたのだ。化け狸は町人として暮らし、広徳寺の檀家にもなっていたという。
ところが、その妻が病で亡くなった後、ある時、間違いが起きた。
「田貫屋狸は、団栗が大好物でな。そのせいである日、寺に伝わっていた大きな金印を、食べてしまったのだ」
金で出来たその印には、握る所に、木の実の彫刻が施されていた。少し暗い場所で見ると、団栗にそっくりであった。
「えっ? 金で出来た団栗なんて、食べたんですか。重かったでしょうに」
若だんなが魂消ていると、田貫屋狸が頷き、ちっとも美味しくなかったと、堂々と言ってくる。狸は、もこもことした総身の毛を震わせた。
「その上、飲み込むのも苦しくて。わしは狸の姿に戻って、苦しんでおりました。あげく寺の僧に見つかり、捕まってしまったんです」
すると、恐ろしい事になった。印は何と、広徳寺が金の出し入れの時、証文の最後に突く、大事な印であったらしい。それゆえ、特別に彫刻が施されていたのだ。無ければ、寺が困る品であったから、事をどう終わらせるかで揉めた。
「印を取り戻す為、そこな狐同様、わしをさばいてしまえという御坊が現れたんですよ。殺生を口にするなど、坊主にあるまじきことです」
寛朝が、無茶は駄目だと僧達を止めた。そして印はじき、狸の糞と一緒に出てくると言ったのだが、僧達は納得していないという。
もう一年も過ぎているのに、未だに金印は、狸の内にとどまっているからだ。
「僧達はわしを、日に日に、物騒な目で見るようになってるんです。わしは怖くなって、今日、寺から逃げ出しました」
だが、逃げても行く所がない。田貫屋の店へ帰っても、直ぐに寺から人が来て、捕まるだろうと思われた。それでも怖くて、必死に走っている内、田貫屋は、若だんなを突き飛ばしてしまったわけだ。寛朝は、大きく溜息をつき、田貫屋狸を見ている。
「金入りの糞をするまで、直歳寮で大人しくしておれと言った筈だ。馬鹿をすると本当に、狸汁にされるぞ」
化け狸はぷいとそっぽを向いたが、笹丸が慰めるように毛を撫でると、その小さい姿を尻尾でくるんでいる。寛朝は一つ息を吐き、若だんなへ目を移してきた。
「次は、若だんなと話さねば。今日はどうして長崎屋の皆を、供に連れておらんのだ? 薄着な事も気になっておるぞ」
「あの、それがその……」
言いかけた時、若だんなは眼前が、ゆらりとゆがむのを感じた。そういえば先程から、随分寒気を感じている。無理をしたから、熱が上がっているのかも知れない。
若だんなが黙ったので、代わりに老々丸が、事情を話し始めた。狸と笹丸は、心配げな目を時々、若だんなへ向けてくる。
(あ、これは拙い。少し休ませてもらわなきゃ……)
そう思った時、目の前が急に暗くなった。寛朝が声を上げ、小鬼達が悲鳴を上げる。若だんなは己の体が、直歳寮の板間に倒れて行くのを、ぼんやり感じていた。