こいごころ【7】

【試し読み】960万部突破!「しゃばけ」シリーズ最新作『こいごころ』

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イラスト/柴田ゆう
イラスト/柴田ゆう

       7

 若だんなは、酷く不思議な思いに駆られていた。
 寛朝が居たからか、兄や達は癇癪かんしゃくを、いきなり皆へ向けはしなかった。
 ただ、集まった一同に目を向けた後、若だんなが温かい布団の内におり、ちゃんと薬湯を貰っている事は最初に確かめた。するとその後、怒りも騒ぎもせず、まずは僧二人から事情を聞いたのだ。
 それから二人は、長崎屋の妖達としばし話をした。何故だか老々丸と笹丸の事を、話しながら、ちらちらと見ているので、若だんなは酷く気になった。
(何で皆、妖狐の二人を見るんだろう)
 その後、更に魂消る事になった。兄や達は若だんなを迎えに来たかと思ったのに、長崎屋へ直ぐに帰れとは言わなかったのだ。その上二人は、田貫屋を取り戻すのに、力を貸すとも言い出した。
「えっ…」
 若だんなは初めてのことに、声が出ない。寛朝が横で、涙を流さんばかりに喜んでいた。
「何と、本当にありがたい話だ。二人がいれば、きっと金印は…いや、田貫屋は帰ってくる。うむ、広徳寺は感謝するぞ」
 寛朝は満面の笑みだし、老々丸に至っては、感激で泣きそうになっていた。
 老々丸は己達の事を、更に詳しく話した。そして、病の若だんなの夢へ入り込んだ事を謝った後、兄や達へ深く深く頭を下げる。
「仁吉さん、お前様が、長くおぎん様のお供をしていたという、白沢はくたくさんだよね。王子稲荷の狐達から、話は聞いてる。ああ、会いたいと思ってたんだ」
 孫である若だんなと、長年の知り人仁吉、この二人から頼んでもらえば、笹丸は荼枳尼天の庭へ、行けるかも知れないと言うのだ。
 すると仁吉も佐助もそこで、またちらりと笹丸へ目をやった。二人は目を合わせ、僅かに唇を嚙んだのが分かった。
(えっ? 今の素振りの意味って、何なんだろう)
 佐助は静かな声で、老々丸の望みについては、田貫屋を取り戻した後、話をすればいいと話している。老々丸は納得し、田貫屋の為に頑張ると言った。
 頷いた兄や達は次に、直歳寮に集まった者達を、幾つかの組に分けたいと言い出した。
「これから田貫屋を探しに行くにしても、一人で行っては、どうしたらいいか困る事もあるでしょう。三人程の組に分かれて下さい」
 屛風のぞき、おしろ、鈴彦姫、金次、鳴家達に場久、兄や二人が長崎屋の面々だ。それに老々丸と笹丸、秋英が加わり、四つ程組が出来る。同道出来ない若だんなが眉尻を下げると、その分、自分達が活躍すると、鳴家達がきゅい、きゅわ、声を上げた。
「大丈夫、鳴家は沢山食べられる」
「おい、何を食う気なんだ?」
 唸りつつも屛風のぞきは、小鬼達を己の組に入れる。四つの組が、この後何をするのか兄や達へ問うと、佐助は遠慮なく、怖い事を言い出した。
「坊様が田貫屋さんを連れ出したとしたら、飲み込んでいる金印が欲しいからでしょう。ですが、僧は肉をさばく事に慣れていない」
 ならば、どうするか。おそらく慣れた者に、田貫屋を狸として差し出し、肉にして貰おうとする筈と言うのだ。
「きゃーっ、妖殺しっ、怖いですっ」
 鈴彦姫が顔を引きつらせる中、仁吉はきっぱりと告げた。
「おそらく行き先は、ももんじ屋です」
 薬食いだと称し獣の肉を売る店は、実は江戸に多くある。仁吉は僧が、田貫屋を狸として縛り上げ、そこへ行っただろうと踏んだのだ。
「店は方々の町にあるはずです。広徳寺から行きやすい所と言うと、蔵前か、両国の盛り場辺りでしょう」
 手分けして店を見て歩いてくれと、兄や達が言う。皆がさっと頷き、互いの行き先を決めつつ、直歳寮から離れて行った。
 さすがに、直歳寮を空にする訳にはいかず、寛朝は寺に残り、皆からの知らせを待つ事になった。仁吉は佐助と組み、小鬼を何匹か連れて行くことにしたが、その前に若だんなへ、特製の薬を残して行くと、薬湯をせんじにかかる。
 他の皆が板間から消える頃、直歳寮に煎じ薬の匂いが満ちた。若だんなはこの時、火鉢の傍らで薬を作る仁吉の顔を、覗き込んでみた。
「あの、聞いて良い?」
「はい? 熱が高くなってきたんですか? 苦しくなってきましたか?」
 ならば、もっと薬湯を濃くしなくてはと、仁吉は言う。若だんなは静かに問うた。
「皆、笹丸の何を気にしているの?」
 仁吉、佐助だけでなく、残っていた寛朝も、床から身を起こした若だんなを見てくる。だが、誰も答えてくれないので、若だんなは言葉を重ねた。
「笹丸が妖として、弱ってきてることは承知してるよ。自分達で言ってたもの」
 それゆえに老々丸は、笹丸を荼枳尼天の庭へ行かせたくて、若だんなの所へ来たのだ。
「でも、だからって兄や達まで、何で酷く笹丸を気にしているの?」
 もちろん、兄やが祖母おぎんへ、話を通してくれれば、笹丸や老々丸は喜ぶだろう。だが兄や達が、夢内へ勝手に入り込んだ笹丸や老々丸を、怒鳴りもせず、もの柔らかに接している訳が、どうも分からない。
 分からないから若だんなは、何か怖いように思えるのだ。そして。
「訳を聞いても、教えてくれないのは、どうして?」
 寛朝が一寸、若だんなの方を見たが、やはり口を開かなかった。代わりに兄や達を見たので、観念したかのように、仁吉が薬缶やかんを置き、じき、口を開く。
 若だんなを真っ直ぐ見ると、仁吉は誤魔化ごまかす事なく、大事な事を話してきた。
「笹丸は、もう妖として持ちません」
「持たない? うん、具合が悪いよね」
「荼枳尼天様の庭へ行っても、笹丸は己を、保つ事が出来ないでしょう。それくらい、力を失ってます」
 妖ならば、それが分かる。何故なら笹丸は化けても、狐と人の姿が、二重になって見えていたのだ。
「あ、私もそれは見たけど」
 そんなに危うい事だったのかと、若だんなが顔を強ばらせる。ここで佐助が、低い声で言った。
「笹丸は、もう化けるくらいしか、出来る事がありません。なのに、化けた姿すら保てないのは、妖として、明日を越す力がなくなってきたあかしです」