第一話 恋の考察をグランマと
「好き」はこまめにセーブしないとゲームオーバー。
最近、永田詩乃が知ったこの世の真実だ。危ないと感じたら「会う」しないとダメ。特に「好き」のレベルの低いうちはもう毎日セーブしないといけない。ちょっとしたことですぐにゲームオーバーになってしまう。思春期は繊細、だなんてよく言うけれど、思春期の「好き」はそれよりもっともっと繊細なのだ。ネットでマンボウは繊細過ぎてすぐ死ぬなんて記事を見たけれど、マンボウと同レベルだと思う。
詩乃の「好き」は、たった二日会わないだけで終わった。夕飯の赤貝の刺身に中って二日間寝み、その翌日ふらふらになりながら登校したら、彼氏の金沢大輔に『好きな子できたんだ』、とフラれたのだった。詩乃のいない間に二年の先輩に『タイプの顔』と言われ、SNSのID交換をし、それでめちゃくちゃ気が合って、もうキスまで済ませてしまった、と大輔に説明され、頭に大量の疑問符が湧いた。
『あたしの二日間と大輔の二日間ってほんとうに同じ?』
本で言えば乱丁があったのかと思うほど展開がおかしい。しかし大輔は『当たり前だろ』と唇を尖らせた。詩乃は混乱する頭で大輔を見る。
つまりは、あたしの彼氏はあたしが連絡もできずに苦しんでいた二日間、からだの心配をするわけでもなく、ひとつ年上の女の子に乗り換えてしまっていたってこと?
自分の何がいけなかったのか、詩乃は考えた。キスやその他もろもろ、恋人同士のスキンシップを拒んでいたことだろうか。しかし軽く唇を合わせるだけのキスはするようになったし、高校一年生の付き合いとしてはそんなものでいいのではないのか。それ以上の付き合いをするのはもっと先であろう。自分のからだが成熟しているとは到底思えないし、万が一のときに苦しむのは女だと、中学時代から何度も授業で教わった。しかし、大輔がそんなことで別れを決めたとは思いたくない。寝込んでいる彼女のことがどうでもよくなるほどの運命の出会いを果たした、ってことにしておこうか。
考え込んでいる詩乃をどう捉えたのか、大輔は『ごめんな』と神妙に頭を下げた。そしてすっと顔を上げると、爽やかに微笑んだ。
『ほんとうに、悪いと思ってる。でも、詩乃はオレがいなくてもひとりでやっていけるよな!』
詩乃は無意識に、ぽかんと口を開けていた。
いま、太古の昔から擦られすぎた、だっさいセリフを吐いた?
大輔は厨二病っぽいところがあるひとだと、詩乃は常々思っていた。愛とか永遠とか、そういう派手な言葉を使いたがるのだ。だからきっと、そういうことが言いたかっただけだろう。しかし、それをほんとうに言うか! ドン引きした詩乃をどう受け止めたのか、大輔は切なそうに眉根を寄せて『ゆかりは、オレが守ってやんないといけねえからさ……』と言い、物陰からふたりを窺っていた新しい彼女の元へ駆けて行ったのだった。それを呆然と目で追う詩乃と目が合ったゆかりは哀しそうに眉を寄せ、詩乃に口パクで『ごめんね』と言う。そして大輔としっかと手を繋いでみせたのだった。
詩乃と大輔は、中学三年の春から付き合いだした。そのきっかけは、大輔からの告白だった。
『女の子として、好きだったんだ』
小学校のときからずっと、同じクラスだった。近くにいるのが当たり前で、だからそんな大輔に告白されたとき、やけに気恥ずかしかったのを詩乃はいまも覚えている。詩乃も大輔のことが気になっていたけれど、近すぎて言えなかったのだ。
『オレ、詩乃と同じ高校行きたい。高校も一緒がいい』
大輔はあまり成績が良くなくて、詩乃が目指す進学校は難しかった。しかし詩乃は大輔に『一緒に行こう!』と答え、それからふたりで猛勉強をした。勉強のコツを掴んだ大輔はぐんぐん成績をあげ、そして、同じ高校に進学した。順風満帆とはなるほどこのことだなあ、と幸福に思っていた詩乃だったけれど、その幸福がこんなにも脆いとは。
そして、大輔の気持ちがこんなにも薄っぺらなものだったとは。詩乃は去って行くふたりの背中を見ながら、酷い扱いを受けたものだなと思った。
あたしはいま、ふたりの「好き」のイベントに体よく使われた。大輔は小学校のころからずっと一緒だったあたしを、あたしとのこれまでのことを、簡単に消費できるんだ。そういうひとだったんだ。
詩乃の中にあった「好き」が、しゅばっと消えた。それは、やりこんでいたゲームアプリに飽きてアンインストールするときにも似ていた。何でこんなゲームに夢中になってたんだろうという恥ずかしさと、もうこんなものに時間を浪費するのは辞めよう、という淡い決意が入り混じる。己に対する軽い失望を覚えながら、それでも大輔の学力に合わせて志望校のレベルを下げなかっただけマシか、と詩乃は自分を褒めた。恋愛で自分の人生を歪めなかったのは、えらいぞ。
「十代の恋は地上の蝉みたいなもんよ。生まれたかと思えばじーじー騒いで、そしてあっという間に終わるものなの!」
大輔と別れてから二週間後の、夕食でのこと。つけっぱなしのテレビから声がして、キーマカレーを食べていた詩乃は、ほほう、と顔を向けた。化粧の濃いおばさんが喋っていた。
蝉。十代の「好き」はそもそもが短命だということか。最近の自分の疑題に対して新しい答えだ。では、セーブに拘っていても仕方ないのかもしれない。いやでも。