第一話 推しが門司港を熱くする②

【試し読み】大人気シリーズ最新作! 町田そのこ『コンビニ兄弟3』

更新

 休憩時間になって、光莉は身支度を整えて店を飛び出した。これまた息子から借りたベースボールキャップを被り、首にはタオルを巻く。自転車にまたがった光莉は「とりあえず駅前よね」とペダルを踏みこんだ。
 けたたましく鳴き騒ぐセミの声。熱せられたアスファルトが熱い。店を出てまだわずかなのに、汗がこめかみを流れていった。これでは、長時間の人力車での移動は避けるだろう。涼めるところ―門司港レトロ海峡プラザか九州鉄道記念館辺りに滞在する可能性がある。せわしなく考えながら、漕ぎ進む。
 案の定、門司港駅前にはいなかった。『采原或るさん、大歓迎!』という看板がいくつも立てられているが、ひとも少ない。SNSで検索をかけてみる。
「ビンゴ。海峡プラザ!」
 書き込みを見つけて口笛を吹く。自転車に再び跨り、プレミアホテル門司港前を抜けて海峡プラザに向かおうとしていると「中尾さーん」とのんびりとした声がかかった。見れば、数人の女性に囲まれた志波が立っていた。
「お殿様かい」
 思わず、光莉は呟いた。日傘を差した女性たちがせっせと志波に日陰を作っていた。女性の半数が着物を着ていることもあって、一瞬、腰元を引き連れた殿様のように見えてしまったのだった。
「或るさんをお探しですか? いま、この周辺をぐるりと回った後に海峡プラザで下車されたと聞いたので、ぼくたちも移動しているところなんですよ」
「お食事、美味しかったわあ。腹ごなしにちょうどいいわね」
 女性たちはのんびりしている様子だが、光莉には時間が限られている。
「では向こうで会いましょう!」
 言うなり、ペダルを踏んだ。
 自転車を停め、耳を澄ます。こういうときは、だいたい賑やかな方に行けばいい。「あっちだ!」と独りちたと同時に光莉は走り出した。
 采原或るは、海を眺めることのできるテラス席に座って、ドリンクを飲んでいた。パラソルがちょうどよい日陰を作り出していて、潮風もやわらかく吹いている。彼を中心に二メートルほどのひとの円ができている。
「ああ、或るくん!」
 ひとごみの向こうにいる姿を認めて、光莉は思わず声をあげてしまう。ひゃー、顔ちっちゃい。骨格繊細過ぎ。あんなはかないスタイルであんな激しいダンスしてたの? だめだめ、死んじゃう。ああ、ごはんもりもり食べさせてあげたい! お魚? やっぱりお肉? 何でも言って!
 采原は、メディアで見るよりも華奢きゃしゃで、そして可愛かった。いま二十二歳のはずだが、高校三年生の恒星と変わらない。ああこんなにも若い子が、生き馬の目を抜くといわれる芸能界で必死に頑張っているのね…。
「はあ、尊い」
 一挙手一投足が心臓をキュルキュル撃ち抜いてくる。スーツ姿の男のひとが何かを持って行くと、ぱっと顔が明るくなった。
「やった、バナナアイスモナカやん!」
 テンダネスのバナナアイスモナカを渡されて、采原は「これ、ちかっぱ美味しいよね」と周囲に向かって笑いかけた。
「ぼく、これ好き。テンダネス、一年中これ売ってほしいっちゃ」
 笑顔にエフェクトがかかった気がした。キラキラが押し寄せてくる。
 か! わ! い! い! 
 光莉は思わず眩暈めまいを起こしてしまう。うちの店にあるアイス、全部プレゼントしたい。ていうか、わたしこれからバナナアイスモナカ死ぬほど売る。通年商品にするためにアンケートもガンガン書く。あの子が食べたいと願ったときに、いつでも買える商品にのし上げる…!
 脳内で身悶えし、絶叫したのち、光莉はふっとため息を吐いた。
 しかし、恐ろしいわ…。三次元。
 ここ数年は二次元のキャラクターばかり推していたのだが、三次元もいい。二次元が甘い菓子だとしたら三次元はお米を食べているような力強さがある。どっちもそれぞれ良さがあるので優劣はないが、しかし久しぶりに食べるお米は激しく美味い。美味すぎる。活力もらいすぎてヤバい。
「バナナのかたちしとるところが憎いっちゃんねー」
 嬉しそうに、采原がアイスをかじる。ああ、いっそ本部に掛け合ってバナナアイスモナカ専門店作る…⁉ わたし、自転車に乗って移動販売するのも辞さない! 光莉が脳内で叫んでいると「ブレ男じゃなくて津島王子がよかったー」と無遠慮な声がした。