第一話 推しが門司港を熱くする③
【試し読み】大人気シリーズ最新作! 町田そのこ『コンビニ兄弟3』
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夢のような一日から十日が過ぎた後も、光莉はまだふわふわしていた。無意識に浮かれ切っているのか、夕飯を豪華にしてしまっているらしい。「母さん、どうしたんだ?」と嬉しいのか心配しているのか分からない顔で、恒星に尋ねられたほどだ。
「うわ、ツギさんそれ何すか!」
十四時を過ぎて、少し客足が途絶えたころ。もはや癖になってしまったあの日の反芻をしながら商品補充をしていると、廣瀬がけらけらと笑いだした。どうしたのかと見ればツギが入店してきたのだが、彼の背後にある車がいつものものではない。
ツギの愛車は『なんでも野郎』とロゴの入った軽トラックだ。しかし駐車場に停められた車はパステルイエローのバンだった。ファンシーなクマとウサギのイラストが見える。
「部品を取り寄せてるんだけど、まだ届かねえんだ。でも仕事が立て込んでるし、とりあえず借りてきた」
車は、かつては幼稚園の送迎ワゴンだったらしい。中は改造されて荷物を載せられるようになっていたが、小さな子ども用の椅子がふたつだけ残っていて、微笑ましい。中を覗き込んだ光莉は、恒星が幼稚園に通っていたころのことを思い出して「懐かしい」と声を漏らした。
「あー、こういう車にちっこい子たちが乗ってたわあ。恒星は毎回ぎゃんぎゃん泣いてね、あんまり激しく泣くもんだから、近所のおじさんが何があったとや! って外に飛び出してきて」
いまでこそ親離れしてしまったが、恒星はママっ子だった。ママがいいママがいいと泣き喚いたものだ。
「いまからこれで中津市まで行って、古い屋敷の荷物整理の手伝いだ。そのまえに腹ごしらえをな」
ツギが店内に入っていき、光莉も業務に戻る。菓子を什器にせっせと詰めていると「お疲れ様です」と休みのはずの志波がやって来た。
「お疲れ様です。店長、どうされたんですか」
「いや、こういうのを作ってみたのでレジに設置しようかと」
ぴらりと志波が掲げたのは、ラミネート加工された紙だった。手渡された光莉はざっと目を通して「あ、これいい」と呟く。
紙には大きな文字で『レジ袋 いります いりません』と表記されていた。『指差してください』とも。
レジ袋が有料制になり、会計時には必ずレジ袋の要不要を確認するようになった。たいていのお客様は「いる」「エコバッグあるんで大丈夫です」など答えてくれるけれど、中には「いらねえよ!」「いちいち確認しなくてもわかるだろ」と怒鳴るひともいる。これを示して「どちらに」と確認できるのは便利だ。
しかし志波の目的とはズレていた。
「最近、難聴のお客様がいらっしゃるでしょう? ご不便をおかけしているなと気になっていたんですよ」
「あ」
思い出して、光莉は恥ずかしくなる。そのお客様はつい三日前も応対したばかりだったのだ。彼はいつもエコバッグを持っていて、問う前に提示してくれるので問題なかったのだが、その日はたまたま忘れていたらしくて受け渡しがスムーズにいかなかった。志波はきっとあれを見ていたのだ。
「割りばしやおしぼりも書いた方がいいかなと思うんですけど、とりあえずはこれで様子を見てみましょう」
「すごく、いいと思います」
このひとはすごいな、と光莉は感心する。接客という仕事の質を上げるために、思考を止めない。あの日のことをさらりと忘れてしまっていた自分が情けない。
来客のメロディーが鳴り、反射的に「いらっしゃいませ!」と言う。見れば、半そでのパーカーを着た男性が入店してくるところだった。フードを目深に被っているから顔は分からない。袖から伸びた細い腕や服の上からでも分かる華奢な様子から、若い子だということだけ分かった。
「いらっしゃいませ! あ、中尾さん。ぼくはこれを張ったら戻りますから」
志波がレジカウンターの方へ向かおうとしたそのとき、パーカーのひとがだっと駆け出し志波の腕に抱きついた。
「ああああああああの! 先日はありがとうございました!」
切羽詰まったような声を聞き、光莉は息を呑む。え、まさか。
パーカーのひとがフードを外す。その顔を見て、光莉は「ぎゃ!」と悲鳴を上げた。
「采原或る、くん!」
必死の顔をしていたのは、采原に他ならなかった。


