第一話 乾杯のリスタート【2】

【試し読み】35万部突破! 町田そのこ『コンビニ兄弟4』

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illustration ふすい
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 九州に展開するコンビニチェーン「テンダネス」。その「門司港こがね村店」が人気のワケは、どの有名観光地にも近い抜群の立地、郷土色豊かなオリジナル惣菜メニュー、そして、老若男女を意図せず籠絡してしまう魔性のフェロモン店長・志波三彦!
 超個性的な常連たちに加え、毎回悩みを抱えた人が訪れる名物コンビニの今度のお客さまは…⁉
 累計35万部を突破した心温まるお仕事小説、町田そのこ著『コンビニ兄弟』シリーズの最新刊刊行を記念して、今年も発売前に一話をまるごと先出し公開します。

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コンビニ兄弟

コンビニ兄弟

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 ピンクのアルパカの頭部が見守る前で、廣瀬がレジ対応をする。てきぱきと商品をスキャンし「袋はご入用ですか?」と訊いてくる。うなずくと、志波が手早く袋に買ったものを詰めてくれた。それぞれのその手際てぎわは確かに、日常茶飯事としてやっているひとのそれだと百合は思う。ほんとうに、ただの店長と店員だったのか。
 支払いを済ませて、レジ袋を受けとる。出入り口の自動ドアが開き、一歩踏み出した百合はレジカウンターを振り返った。ふたりが百合を見守るように目を向けている。
「ええと、では、その、失礼します」
 会釈えしゃくをすると、廣瀬は会釈を返してきて、志波は「いってらっしゃいませ」と微笑ほほえんだ。
 ほんとうに、ただの店長だったってこと? テンダネス情報を調べてきたけれど、こんなキャラ立ちしてるひとがいるなんて、どこにも書いてなかったけど。
 きつねに化かされた気持ちで車に乗り込んだ百合は、マンションへの帰路につく。けれど部屋に戻り、届いたばかりのダイニングテーブルにお弁当と缶チューハイを並べたころには、何だか愉快な気持ちになっていた。ほんとうにただのコンビニでただの店長だったとしたら、面白すぎるじゃないか。
「ほんとうに店長なんです、って何それ、変な言い方…っ」
 もちろん、疑ってかかっていた自分のせいではあるのだけれど、それにしたって笑えて来る。くすくすと笑いながらお酒をひと口飲んだ。
「あ、お皿」
 百合ははっとする。フライドチキンを乗せるお皿がない。明日は食器を買い揃えに行かなくては。紙袋に包まれたままのフライドチキンを少し眺めた百合は、「よし」と袋の上部を切り取り線に従って切り取った。半分顔を出した、きつね色のチキンに、思い切ってかぶりつく。さくさくの衣の歯ごたえと共に、じゅわっとあぶらが弾ける。スパイスの効いた肉が分厚い。
「おいひい」
 思わず呟いて、咀嚼そしゃくする。缶チューハイで飲み下して、甘い息を吐く。
「美味しい」
 視界が鮮やかに開けていくようだった。それから、これって上出来なスタートじゃないの、とうれしくなる。離婚して初めてのひとりの夜を、わたし、ちゃんと満喫できているじゃない。
「ふ、ふ、ふ」
 お腹の底から笑いがこみ上げてくる。気持ちよく笑いながら、百合はまたチキンにかぶりついた。これまではコンビニのフライヤー商品なんて買ったことがなかったし、料理を皿に出さずに食べるなんてこともしたことがなかった。
「楽し」
 呟くと、スマホが震える気配がした。嫌な予感がして、おずおずと手を伸ばす。摘まみ上げて画面を見ると『お母さん』と表示されていた。さっきまで体を満たしていた感情がざっと洗い流されたような感覚を覚える。
 きた。でも、早くない? まだ早すぎやしない? だって、離婚したことはまだ言ってない。偶然? 出た方がいいかも。でも。
 逡巡しているうちに、電話は留守番電話に切り替わった。
 再び沈黙したスマホに、ため息をひとつ吐く。数分して、今度はメッセージの受信を告げる振動があった。
 百合はゆっくりと、画面をタップする。機内モードにしてからメッセージ画面を開くと送り主に既読がつかないから、まず機内モードにする。
『お父さんがね、また飲み会だって言ってお金持って行ったの。今月もう四回目よ? 帰ってきたら飲みすぎたって大騒ぎするくせに、本当に嫌。お金使われて嫌な思いして、お母さんほんと、しんどい』
 いつもの母の愚痴だった。ほっとしながら、機内モードを解除してスマホを操作する。
『お父さんって、いつもそうだよね。体を壊さないといいけど。お母さんも、あんまりくよくよ考えないでね』
 返信し終えて、ため息を吐く。大丈夫、まだバレていない。でもいつかは、来週末にはバレてしまう。二週間に一度は実家に顔を出さないと『どうしたの』と連絡が来るし、予定が入っていると言えば『ちょっと顔が見たくて』と部屋まで訪ねて来るのが、百合の両親だ。
 早く言わないといけない。でも、怖い…。
 さっきまで盛り上がっていた心は、穴が開いた風船のように一気にしぼんでしまっていた。しわしわになった心のひだに、不安だけが忍び込んでくる。
 百合は無意識に、椅子いすの上で両膝りょうひざを抱えるようにして座っていた。膝小僧の隙間すきまに顔を押し込みながら、いつまでわたしはこうなんだろうと思う。
 いつまで、両親の顔色をうかがって生きて行かなければいけないんだろう。
 百合は甘やかされているお嬢様だ。
 周囲からそう言われて、百合は育った。