ラザロの復活

神永学『ラザロの迷宮』刊行記念スペシャルショートストーリー

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ここは何処だ?
とても暗くて、冷たかった。
 

 凍てつく空間に、放り込まれたようだ。

ああ、そうか。
私は今、水の中にいるのだ。
息が苦しい。

 だけど、足掻こうとは思わなかった。
 私は、自らの意思で水の中に入ったのだ。
 死ぬことを目的に―。
 だから―。

歌が聞こえた。
女性の歌声だった。
涼やかで、透明な響きを持った歌声―。

 でも私に、歌声が届くはずはない。
 これは幻聴なのだ。

ああ。
それも違う。
これは、私の記憶の中にある歌だ。

この歌をずっと聴いていたいけれど、
私の身体は沈んでいく。
暗い水の底に。

沈みゆく私の手に何かが触れた。
それは、冷たい水の中にあって、とても温かかった。

 

「死んだらだめ!」
 誰かの叫び声が聞こえた気がした。
 水の中にいるのだから、聞こえるはずなどないのに―。
 その声に誘われるように、私は水面を見上げた。
 小さな光が見えた。
 それは、幻だったのかもしれない。
 でも、それでも―。
 私はその光に向かわなければならないと思った。
 それから、何が起きたのかよく覚えていない。ただ、気付いたときには、湖の畔に倒れていた。
 濡れた身体をゆっくり起こすと、すぐ目の前に一人の少女が立っていた。
 彼女は、私と同じようにずぶ濡れだった。
 何度かその姿を見たことがある。私の住むアパートに近いペンションに住んでいる少女だ。
 ぼんやりとした意識の中で、自分はこの少女に助けられたのだと気付いた。
「どうして、助けたの?」
 そう訊ねると、少女は眉を吊り上げ、怒った顔でしゃがみ込んだ。
 あいつらがそうであったように、罵声と暴力に晒されると感じ、思わず身体を硬くした。
 だけど―。
 私が耳にしたのは、優しい吐息だった。そして、濡れた衣服を通して伝わる柔らかい肌触りに包まれていた。
 少女に抱き締められているのだと気付いたのは、ずいぶん経ってからだった。
 どうして、私のことを抱き締めるのか? それを訊ねようと思ったのだが、思うように言葉が出てこなかった。
 やがて、少女は、私を抱き締めたまま、歌い始めた。
 その調べは、とても優しかった。
 自然と私の頬を涙が伝った。
「死んではだめだよ」
 少女は、笑った。
 その顔が、まるで聖母のように見えた。
 母には死ねと言われたけれど、この少女は私が生きることを望んでくれる。
 私の本当の母は、この少女なのかもしれない。
 あり得ないことなのだが、そう思えてならなかった。
 私は湖に入水して一度死に、少女によって新たに生を受けたのだ。
 ラザロのように―。
 ならば、この命は、少女のためにこそ使うべきだ。
 私は、そのとき強く決意した。

(了)

ラザロの迷宮

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