プロローグ【3】
【試し読み】破格のエンタテインメント巨編! 荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』
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「もっとも、皆さんの移動手段は我々が手配しますので、乗る必要はないかと思いますよ」
「この路線、中部の湾岸エリアではハイパーループの走行試験に使われてるんだろう?」
「よくご存知ですね。エリアは限定されていますが、一般人でも乗車が可能です。ヴィーナス&アドーニス社の計画では、将来的にはグレートオーク全域をカバーするそうです」
「たいしたもんだ。ぜひとも乗らせてもらう」
感心し切った口調でネイサンは言った。ヴィーナス&アドーニス社はアメリカのスタートアップ企業だ。創業からわずか数年にして、浮揚式超高速輸送システム、いわゆるハイパーループの有人走行に成功し、国際連合開発計画が主導する次世代交通システム構築プロジェクトの中心的な存在へと登り詰めた。今や世界中のベンチャーキャピタルが、この国で行われている最先端の研究に注目している。
端末が振動している。ポケットから出して確認すると、ヨハンからメッセージが入っていた。できれば声を聞きたいと思いながら開き、すぐに画面を消した。数行で、その内容がパンフレットに関するものだと分かった。あとで気付かなかったと言えばいい。幸い、この仕事の多忙さは、私の臆病さを巧妙に隠してくれる。
端末をポケットに戻し、窓の外に顔を向ける。街を歩く人々を観察していると、服や鞄などの持ち物から、髪型やメイクアップ、歩き方や細かい所作に至るまで、何もかもがニューヨークと変わらないことに気付いた。異なっているのは人種だけだ。
「先月かな、本部のすぐ近くにサブウェイがオープンしましたよ。職員一同大喜びで、しばらくの間ちょっとした行列ができてました。今は、注文すれば会議室まで届けてくれます」
「ウェンディーズはあるか?」
「ええ。僕はフロスティが大好物です」
「分かってるじゃないか。肉はちゃんと牛肉だよな?」
「もちろんです」
「なんだか、ようやく安心できた気がするよ」
オスカーはえらく機嫌が良さそうだった。彼はフランス人だが、食の好みはアメリカナイズされている。
「ハラールのある国は地獄だよ。お嬢さんはバッファローを食ったことはあるか?」
窓を閉めると、オスカーは心悦に話を振った。お嬢さん、という響きに彼女は一瞬眉を顰めた。
「いえ、ありませんが」
「最低だよ。ネパールで散々食わされたよな、アルフ?」
「何だかんだ美味しそうに食べていたじゃないか」
「気を遣っただけさ。ここなら、食うものには困らなそうだな」
車が信号で右折する。直進が優先のはずだが、対向車は私たちに先を譲った。歩道にいる子供が母親の服を引っ張り、私たちの車を指差しているのが見えた。
「買い物にも困りませんよ。数ヶ月後に、大きなショッピングモールがオープンするんです。ベビー用品、子供のおもちゃ、家電、ブランド品、ゴルフクラブ、何でも手に入ります。葬儀業者まで入っているそうだから、まさしく、ゆりかごから墓場まで、ってやつです。僕の妻も楽しみにしています」
マイケルはグッチやプラダなど、人気のブランドの名前を挙げた。大規模な商業施設は、雇用の創出に欠かせないもののひとつであるし、出店する各国のテナントにとっては、貴重なマーケティングサーベイの場となるはずだ。
「免税ならもっと良かったんだがな」
同意を求めるようにオスカーは言った。