プロローグ【7】

【試し読み】破格のエンタテインメント巨編! 荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』

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 セオドアは映像を巻き戻すと、殴られる寸前の比較的鮮明な老人の顔をズームにした。顔認識による照合が行われ、中央C情報I局のAサーバーから返ってきた判定結果が表示される。
徐張偉シュ・ジャンウェイ博士。分子生物学の権威であり、人民解放軍お抱えの研究者としても知られている」
「この国で使われた生物兵器の生みの親」
 ネイサンが呟くと、セオドアは満足そうに頷いた。博士のことは知っていたが、私が資料で見た顔よりも遥かに老けて見えた。
国際I刑事C裁判C所から有罪判決を下されたはずだが、こんなところにいたのか」
「そうだ。〈抹消〉から20年近く、国際U連合N軍監F視の下、ブルーバック市の外れに建設された極秘の研究施設に監禁されていた。その優れた知性を国際社会への奉仕に役立てることを条件にな。…徐博士が何者かに拉致されたのは48時間前。監視と護衛に当たっていた国際U連合N軍兵F士8名も殺害された」
「我々の仕事とは関係ない話に聞こえますが」
 私がそう言うと、こちらを振り返ったセオドアが黄ばんだ歯を見せて笑った。
「博士だけならいい。あれは狂人だ。お守りがいなければ、日常生活さえ満足に送れない。問題は、共に持ち出されたものだ」
 画面が次の映像に移る。床に倒れている兵士。ガラス張りの研究室には血が飛び散り、白衣を着た研究員が怯え切った表情で両手を挙げている。ガスマスクを付けた男が、バイオハザードマークの描かれたケースをボストンバッグに詰める。タイムコードを確認すると、歩哨の兵士が殺されてから3分も経っていない。男たちは周到な計画を練ったうえで襲撃を行っている。
「分かるか? 保管されていた〈ゴネリル〉が全て盗み出された」
 啞然とした表情のオスカーの隣で、ネイサンが手で顔を覆うのが目に入った。
 この国の〈抹消〉が議決されるに至った最大の理由。
 道徳の遵守を誓った世界が、何よりも憎み、消し去ろうとした悪夢。
 クーデターによって政権を奪取した国軍トライブ幹部は、徐博士を招き、特定の少数民族のみを殺害する生物兵器を作り出した。そして、民族浄化の名の下、40万人以上の少数民族を殺害した。人類史上最も効率良く行われたジェノサイド。呼吸ができず、喉を掻き毟りながら苦しみに悶えて死んでいく犠牲者たち。〈疫病禍〉で大勢の同胞を失った人々は、テレビ越しに見るジェノサイドの光景に、自らが経験した喪失を重ねずにはいられなかった。皮肉にも、〈疫病禍〉による人類史上最大の集団的心的外傷マストラウマが、人類史上最大の同情心と復讐心を生み出した。
「これが公になれば、世界W生存E機関Oは終わりだ。それどころか、国連さえ沈みかねない。そして、私たちのセカンドキャリアよりも遥かに深刻なのは、もしも生物兵器がテロリストたちに使用されれば、過去の惨劇がふたたび甦りかねないということだ」
「連中は最低でもツーペアだ。先進国のお偉方を交渉のテーブルに引き出すことは容易い。博士を連れて行ったのは、使用する気があるという意思表示だからな」
「あるいは、作り変える気でいる」
 セオドアが言い終わらないうちに、オスカーが続けた。中央C情報IAが出張ってくる理由はそこだろう。アメリカは本土への攻撃を、生物兵器がアメリカ人に対して使用されることを恐れ、中立地帯であるべき国連の会議室に準軍P事作M戦担O当官Oを送り込んでいるのだ。
「それで、私たちに何をしろと?」
「君たちは現地調査の専門家だ。何度も闇の奥に潜り、情報を持ち帰る。ジャングルを焼くのは俺たちの得意分野だが、秘宝探しに関しては君たちの方が適任だと、上層部は判断した。国際U連合N軍とF俺たちは、復興政権内に潜伏している旧国家再生派が黒幕であると踏んでいる。そちらの線に関しては、すでに別働隊が動いている。君たちには、生物兵器に繋がる手掛かりの捜索を頼みたい」
「早い話が、いつも通りの現地調査だ。奇病の調査と同時並行で進められるはずだ」
世界W生存E機関Oはいつから諜報機関になったのですか。第一、テロリストと直接的に対峙する可能性がある調査を行うつもりはありません。私には、スタッフを安全に帰す義務がある」
 オスカーが拳を握り締めるのが見えた。
「有事に備えて、NATNO即応R部隊Fの特殊部隊を24時間態勢で待機させてある。君たちには調査期間終了まで、彼らに対する独自指揮権を与える。助けを呼べば、空対地ミサイルを搭載したティルトローター機が5分もしないうちに到着するだろう」
 それを聞いた私たちが安心すると本気で思っているような口調でジェイムズは告げた。独自指揮権など、体を張った目印の間違いだろう。発射されるミサイルが、証拠隠滅のために私たちごとテロリストを消し飛ばさない保証がどこにあるというのだ。