どんな名士でも住民の許可ナシには入居できない。北軽井沢にある伝説の別荘地「大学村」での暮らしとは

松家仁之 3作品文庫版3ヶ月連続刊行記念特集

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かつて、岸田衿子・今日子姉妹が通った山荘は、北軽井沢の別荘分譲地・通称「大学村」にあった―。数多くの文化人や芸能人が集い、様々な決まりのあった「大学村」をモデルにした長篇小説『火山のふもとで』を執筆したのは、作家の松家仁之さんです。

『火山のふもとで』の舞台は、浅間山のふもとにある青栗村の設計事務所「夏の家」。美しく居心地のいい建築を手がける老建築家の「先生」のもと、若き建築家である主人公「ぼく」の成長とひと夏のひそやかな恋を描かれています。

15年前に自身が書いた作品を、松家さんは、”人間は「時」から離れがたい動物なのだ”と振り返ります。松家さんの「時」についての深い考察に溢れたエッセイをお届けします。

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 今から60年以上も昔、軽井沢かるいざわから草津くさつ温泉まで3時間以上かけて走る「草軽くさかる電鉄」という軽便鉄道があった。もともとアメリカの鉱山用につくられた小さな電気機関車は、一両か二両の客車を牽引するのがやっとで、背丈も低かった。パンタグラフがハシゴのように上に伸び、ツノを生やしたようにも見えたその黒い車体から、「カブトムシ」という愛称で呼ばれていた。

「新軽井沢」駅から「草津温泉」駅までの55.5キロメートルの全線が開通したのは、今から99年前、大正から昭和への時代の変わり目だった。「カブトムシ」は自転車ほどの速さだったが、そののんびりした速度もまた、魅力のひとつだったらしい。草軽電鉄の「北軽井沢」駅下車の別荘地に、子どもの頃から通っていた姉妹、岸田衿子きしだえりこ(詩人)、岸田今日子きょうこ(俳優)のふたりは、エッセイでこのように回想している。

「帽子を窓からとばされた人が、とび降りて帽子を拾ってまた乗ってもまにあう。ときどき降りて花を摘んで乗る人もいた。海抜も一二〇〇メートルを越え、「国境平」という駅につく。ここから群馬県だ。そのあと一時間近く走ると(カミナリが鳴ると停る。いつ頃着くのかは、あまり予想できなかった)やっと私たちが赤ん坊の頃から夏を過した「北軽井沢」に着く」(岸田衿子・岸田今日子『ふたりの山小屋だより』文春文庫)

 岸田姉妹の通っていた北軽井沢の山荘は、法政大学学長であった松室致まつむろいたすの呼びかけで始まった別荘分譲地、通称「大学村」にあった。初期には大学教授をはじめ、小説家、劇作家、哲学者、出版人などが集まった。岸田姉妹の父は戯曲家・小説家の岸田國士くにお。法政大学で教えていた哲学者・谷川徹三たにかわてつぞうの山荘もここにあり、息子である谷川俊太郎しゅんたろうも夏は大学村で過ごし、岸田姉妹とも親しくなった。谷川家の隣には英文学者・吉田健一よしだけんいちの山荘が、近くには岩波いわなみ書店の創業者・岩波茂雄しげおの山荘もあった。後年、大江健三郎おおえけんざぶろうも大学村に山荘を持ち、ご子息のひかりさんはここで野鳥の鳴き声を聞き分けるようになる。

 軽井沢に比べてはるかに質素で静かな別荘地は、午前中は執筆や研究のさまたげにならないよう、おたがいを訪問しあわない決まりもあった。運動会や演奏会、講演会も開かれ、単なる別荘地というより、共同体としてのつながりが大切にされていた。どんな有名人であっても、組合の賛成を得られないと、分譲地を手に入れることはできなかったという。