【試し読み】宮部みゆき最新作『猫の刻参り』①
宮部みゆき最新作『猫の刻参り』、新潮文庫版『小暮写眞館』刊行記念特集
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1987年の作家デビュー以来、華々しい受賞歴を誇り、時代を切り取る鋭い視線で大ベストセラーを放ち続けている宮部みゆきさんの新作小説『猫の刻参り』が、2月19日に新潮社から刊行されました。
「三島屋変調百物語」シリーズの主人公は、江戸は三島屋の次男坊富次郎。変わり百物語の二代目聞き手として、客人の数奇な身の上話(変わり百物語)を聞き捨てて、一枚絵に描いています。今回の変わり百物語に登場するのは、お馴染みの化生のもの、化け猫、河童、山姥です。
物語は、富次郎が父・伊兵衛に絵師になりたいと告げる場面から始まります。父からの条件は、変わり百物語を続けながらお店の仕事を手伝うこと。当惑しつつ絵の蟷螂師匠に相談すると、さらに困難な課題を出されてしまい……。
第1話「猫の刻参り」の冒頭、絵師修業と書き手を両立し始めたばかりの富次郎の元に語り手が現れる場面から百物語の主人公おぶんが可愛がっていた猫・シマっことの辛い別れまでを10日間連続で特別公開。
死の淵を覗き、絶望の闇の底に蹴り落とされたおぶんと彼女を支えた猫たち。三島屋の日常と猫好き号泣の百物語の世界、両方をご堪能ください。
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(承前)
数日後の早朝、蟷螂師匠のところからお遣いが来て、一巻きの文を届けてくれた。富次郎はお勝とお吉、お里の三人の女中たちと、台所の板の間で朝餉をとっているところだったが、大慌てで手を洗い、身なりもざっと整えてから、うやうやしくその文を頂戴した。
「済まない。この文を読みたいから、洗い物は積み上げておいておくれ。わたしがあとですっかり片付けるから」
水道橋の蟷螂師匠のもとへ通えると決まったその日から、富次郎は女中たちと競うように早起きし、台所のことからお店と外まわりの掃除、洗い物などを進んで行うようになった。三島屋で働いて給金をいただくと言っても、商いをしている昼日中は留守にしてしまうのだから、富次郎の頑張りどころは朝晩に限られる。それと飯も、これまでは家族と膳を並べていたのを、女中たちに交じって他の皆が済ませた後にとると決めた。
事情を知り抜いているお勝はさて置いて、まだ新参者のお吉とお里は、さぞかし面食らったろう。ただ、伊兵衛とお民が口添えしておいてくれたのか、お勝の説明があったのか、二、三日でびっくりを呑み込むと、富次郎の勤勉ぶりをしゃにむに嫌がらず、(さすがに仲間扱いはしてくれないものの)いちいち恐縮したりもせずに、何でもやらせてくれるようになった。
今も、師匠の文を手に黒白の間へと飛んでゆく富次郎の背中を見送って、三人は顔を見合わせる。お勝はくちびるの前に人差し指を立てて、小さく言った。
「あの文のことは、小旦那さまから何かおっしゃらない限り、内緒にしておいてね」
お吉とお里は揃ってうなずいた。子だくさんの家の母親と末娘ぐらいの歳の差がある二人だが、気は合うようで、息も合う。
「それじゃ、お言葉のとおり洗い物は小旦那さまにお任せして、わたしたちはお掃除にかかりましょう」
女中たちが働き出すと、表の方から、伊一郎がお店の者たちに言いつけて、いちいち確認の返事をさせながら、店先を調えているやりとりが聞こえてきた。ただ商い物をきれいに陳列するだけではなく、何かの拍子に物が落ちてきたり、誰かが段差に躓いたり、家具や調度に身体をぶつけたりする危険がないかどうか、毎朝こうして検めるのである。
これが習慣となったきっかけは、富次郎が店先で転んで、向こう臑にけっこうな怪我をしたことだった。当時、富次郎は気の毒なほど萎れて恥じ入っていたし、伊一郎は怒って呆れていた。だが怒りが収まるとすぐに、「二度と同じことが起きないように」と、この点検のやりとりを始めたのだ。
お勝がひとわたりの用事を終えて台所に戻ってみると、ちょうど富次郎が洗い物を済ませ、台所の片付けもしまうところだった。そこへ、お勝よりも一足先に、小僧の新太が来ていた。
「あ、お勝さん」
こっちを見返る新太の目が輝いている。
「ついさっき、灯庵さんのところからお知らせがありました。本日、変わり百物語のお客様がおいでになるそうでございますよ」


