自分のあるべき姿を求めて踊る男―― 望月諒子『踊る男』試し読み〈井守拓実の狂気〉編②

シリーズ累計45万部突破! 望月諒子『踊る男』刊行記念特集

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フリーランスライターの木部美智子きべみちこが事件の謎を追い、複雑に絡んだ因縁の糸を解きほぐしていく累計45万部超の大人気「木部美智子シリーズ」。『蟻の棲み家』『野火の夜』などに連なる待望の最新作『踊る男』が1月29日に刊行されました。
アルバイト先をストーカー騒ぎの末に辞めた井守拓実は、逆恨みを募らせ、黒歴史の原点である中学時代の同窓生たちに対し復讐を開始します。Xの中傷投稿、夜陰に乗じた連続暴行事件…。木部美智子は一見無関係な犯行の被害者たちが同じ中学の同窓生であることを見出し、警察に先んじて井守へとたどり着きます。が、彼をいじめた人間ではなく、いじめなかった人間を標的にする、その動機は一体どこから来るのか―? 
『踊る男』試し読み〈井守拓実の狂気〉編では、井守が同僚に一方的に好意を寄せる本書冒頭部分を特別公開します。ストーカーのリアルで身勝手な心情を、ご体感ください。

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踊る男

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 その日から、ときどき彼女のあとをつけるようになった。
 ある時には一人で阿部さゆきのアパートに行き、郵便受けを開けて、そこにあったもの─封書やカタログを写真に撮った。そのころには駅のホームでいつも同じ位置に立つことも知っていた。秋から冬を越えて、春へと季節は移った。
 拓実はいろんな手段でさゆきにアプローチした。廊下で待ち構えてごくさりげなく話しかけるとか、彼女に渡す書類に「いつもありがとう」とメモをつけるとか、高級な菓子やチョコレートを、貰い物なんだけど食べないからとプレゼントするとか。彼女の机に黙って花を置いたこともある。だが彼女の拓実に対する態度にはなんの変化も見られなかった。
 拓実は大学の職員データからさゆきの携帯電話の番号を手に入れていた。しかし、自分の携帯からかけるのは番号が残るからすこぶる危険だ。自宅の最寄り駅に公衆電話がある。拓実は夜中にときどきそこへ行き、さゆきの携帯に電話をした。初めて公衆電話からかけた時、さゆきは「はい」と出た。拓実はそこで電話を切った。二回目以降は「おかけになった電話番号への通話は、お客様のご都合によりおつなぎできません」とアナウンスが流れた。彼女は、発信元が「公衆電話」か「非通知」になっている電話には出ないことにしたのだ。
 それでも自分に向けられたあの「はい」の声のいかに可憐であったことか。
 その声が聞きたくてたまらなくなり、事務室から電話をしたことがある。「はい」と声が聞こえたから思わず「さゆき」と呟いた。すぐに切られたけど、それが恋人同士の痴話喧嘩(ちわげんか)みたいで、胸が一杯になった。
 家では父親はいつもテレビを大きな音で見ている。姉は独り暮らしがしたいからと出て行った。両親との三人暮らしだが、顔を合わせることはめったにない。裏口から家に入れるからだ。父親は学のない粗野な人間で、ささくれた畳の部屋に寝ころがって、半分口を開けてテレビを見る。ちゃぶ台には店で買ってきた割引きの惣菜と、コップ。畳の上には一番安い二リットルの焼酎パックが置いてある。拓実は、父親がこんな人物であることを極力忘れるようにしている。
 家は、高級住宅街と言われる街の一角にある。拓実の父親はそうなる前から住んでいて、そのころはここいらは小さな家が建て込む地域だった。狭い道に似たような家々がせめぎあって建つ。道は細く曲がりくねっていて、そのうえ道のそばまで家が迫っているので見通しがまったく利かないから、すぐ先が行き止まりかどうかも行ってみるまでわからない。自転車でさえ慣れていないと通れない。
 そこに、巨大でピカピカのマンションが建っている。たとえば有名デザイナーが監修した、車止めにはベンツが停まるような高級マンションは、三億円する。その鼻先に、昔からある古いアパートが建っている。ピカピカのマンションの真ん前に鉄の外階段がついた二階建てのアパートが建っていて、そのベランダにはよれよれの洗濯物が干してある。三億円のマンションの広いリビングからよれよれの洗濯物が見えるのだ。
 あたかも大きくて立派な木の下にギュウギュウと生える下草みたいだと拓実は思う。彼の家はそういう下草のような家々の一つだ。
 帰ると、高かったスニーカーは部屋まで持っていく。自分の洗濯物は外に置いてある洗濯機を自分で回して、部屋に干す。アイロンも買い、自分でかけた。
 拓実はネットのニュースは欠かさずに見て、事務室での会話に困らないようにした。確認しないといけないのは、エンタメ記事なんかではない。国際情勢と、政治、社会問題などだ。的外(まとはず)れなことを言ってはいけないので、ニュースの下についている識者解説を読み込む。それを自分の意見として言えば、賢いふりが出来る。
 いまはいつだって誰だって、賢いふりが出来るんだから。
 あとは身なりさえ整えたら、俺がなにものなんだか誰にもわからない。
 もし大学の人たちとタクシーに乗ることがあれば、高級マンションが建つ高台辺りで「この近くだから」と降りようと決めている。
 事務室の人間関係はすこぶる良好だ。我ながらよくやっていると思う。昼休みの六十分を一人で喋り続けることもある。話題を用意して、ちゃんと周りにも話を振って、軽快に喋る。
 さゆきが事務室の女と帰るようになったのは、今年に入ったころだった。
 毎日同僚の女友達といっしょに帰る。いつものようにその後を歩いていると、その同僚の女がときどきこちらを振り返る。女のその目に見覚えがあり、拓実は愕然とした。
 高校時代に女子から投げられた視線と同じだ。拓実は混乱した。そして誰にともなく、なぜというでもなく、怒りが湧いた。それから怯えた。

 

(つづく)
次回の更新は3月4日の予定です。

※続きは望月諒子著『踊る男』(新潮社)でお楽しみください。