ここではないどこかから電話が鳴る。ポール・オースター最後の小説『バウムガートナー』試し読み⑥

ポール・オースター刊行記念特集

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 S・T・バウムガートナーは九年前に先立った妻アンナの不在を今も受け容れられずにいる。書斎で彼女のタイプ原稿を読み耽り、物忘れがひどいなか、ルーツの地ウクライナを旅したときの摩訶不思議な出来事を書き残す。そんな彼に恩寵が…。

 妻を亡くした主人公の喪失感とガードナーに迫る死の気配が交差する本作。その執筆中に、オースターは自身の病も進行していることを知ります。そして「まだ書くべき事がある」と感じ、当初の構想を大きく変え、短編ではなく中編小説になりました。

 誰にも訪れる死―。その日を意識していたしていたとしか思えない、オースター作品のエッセンスが宿る名作。その冒頭を、特別公開します。

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 次に彼女とばったり会ったときには八か月が過ぎていたが、もちろん彼女のことは覚えていて、いまだ測りがたい理由ゆえに彼女もこっちのことを覚えていて、そうして始まったのだった、少しずつ始まっていってやがて五年後に結婚して本当の人生が、彼にとって唯一本当の人生が始まり、それが九年前の夏に彼女がケープコッドの波に吞まれ、そのすさまじいモンスター波に背骨を折られて死んだあの午後以来、あの午後以来…やめろ、とバウムガートナーは自分に言う、いまそこへ行っちゃいけない、しっかりしろ馬鹿野郎、気を引き締めろ、鍋から目を離すんだ阿呆、さもないとこの手で絞め殺してやるぞ。
 そうしてバウムガートナーは鍋から目を離し、裏庭に目をやる。裏庭といってもろくに手入れもしていない芝生と、ハナミズキが一本あるだけで、木にはまだ花も咲いていないが、それでももう芽は出はじめていて、ふと見れば、おやあそこ、コマツグミが芝生に降り立った、きっとあたりを見回して虫を探すつもりだな、あ、見つけたぞ、嘴で芋虫を引っぱり出して、それから、ドサッと芝生に投げ出して、何秒かひょこひょこそのへんを回ってほかのものを見ている、そして突然、ふたたび芋虫に襲いかかり、嘴で揺すぶってからぱちんと一部を嚙み切り、それから、ドサッともう一度地面に放り投げ、またもう少しぴょんぴょん回ってからこれを最後と頭をひょいと下げ、芋虫を咥え、一気に吞み込んでしまう。
 バウムガートナーにじっと見守られながら、コマツグミは芋虫を捕まえては貪る作業を続行する。裏庭の地表の下にはこの小さな生き物がたくさん埋もれているのだ、バウムガートナーが思ってもみなかったほどたくさんいて、やがて、コマツグミが一匹また一匹と地面から引っぱり出していくなかバウムガートナーは考える、芋虫というのはどんな味がするんだろう、生きていてもぞもぞ身をよじらせる芋虫を口に入れて吞み込むのはどんな感じがするんだろう、と。

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 バウムガートナーは新しいアイデアに取り組んでいる。時は六月、キェルケゴールをめぐるささやかな本も書き上がり、痛めた膝がほぼ癒えたいま、幻肢症候群と呼ばれる、精神-身体をめぐる厄介な謎を掘り下げている。そのアイデアが頭に植えつけられたのはたぶん、この四月、大工をしている父親を見舞った電動丸のこの事故の話をロシータから聞いたときだ。何しろロシータ本人も詳しいことはいっさい言えなかったのに、バウムガートナーは自分で空白を埋め、以後数時間、血にまみれた場面を頭の中で何度も再現し、刃が大工の指に切り込むのをこの目で見たような気になっていたのだ。幸いフローレス氏の二本の指はその午前のうちに縫い戻されたが、以後バウムガートナーが学んだとおり、恒久的な切断が生じた場合、ほとんどの人がその後何年も、なくなった腕や脚がいまだ体に付いていると感じ、強い痛み、痒み、不随意の痙攣などがしばしば伴って、その腕か脚が縮んでしまったような感覚や、ひどく苦痛な姿勢を取らされたような感覚に見舞われたりする。持ち前の勤勉さを発揮して、このテーマに関する医学文献をバウムガートナーは読み漁り、ミッチェル、サックス、メルザック、ポンズ、ハル、ラマチャンドラン、コリンズ、バービン等々多くの研究者の著作を仔細に検討した。といっても自分の興味の対象が、この症候群の生物学・神経学的側面ではなく、それが人間としての苦しみや喪失のメタファーとなる力にあることをバウムガートナーは自覚している。
 そうしたメタファーをバウムガートナーは、十年前にアンナを突如亡くして以来ずっと探し求めてきた。二〇〇八年八月のあの暑い、風の強い日にわが身に起きたことを生々しく伝えてくれる類比物を。あの日の午後、まだ若々しい、元気一杯の妻を神々に盗まれて、一瞬にして彼は四肢を―両腕両脚すべて同時に―体から引き裂かれ、頭と心はいちおう救われたものの、それはあくまで、悪趣味なせせら笑う神々が、彼女なしで生きていく権利(と呼ぶに値するかも疑わしい権利)だけは放ってよこしたというにすぎない。いまや手も足もなく、かつて自分を自分にしていたものの二分の一を失った半分人間。そして、そう、なくなった手足はまだそこにある、そしてまだ痛む、あまりに痛むので時にはいまにも体が燃え上がりその場で焼き尽くされてしまいそうな気がする。