彼女の行為がなぜ発覚したかについては諸説あって、ホテルから出る現場を教師に目撃されたという子もいれば、相手の家族が制服から学校を特定して訴えたという子もいた。どちらにせよ、噂が出てからも周囲の予想に反して本人は毎日登校していて、そのときも廊下側の席でうつむきがちに授業の準備をしていた。
「どうせなら、いっちゃんみたいな美人とすればいいのにね」
 なにか聞き逃したのかと思い、顔を上げた。
 近くには友達が三人ほどいたけれど、全員なんの違和感もなく「たしかに」「だねー」とうなずきあっていた。それまでの話とのつながりはさっぱりわからなかったものの、追及してもいいことがない、それどころか厄介になることだけは直感でわかっていた。
 いっちゃんのまわりにいる人は、汚い気がする。
 妹の台詞を思い出し、ひとりで納得した。
 自分が悪目立ちするほど美しかったとは、思っていなかったしいまも思わない。毎日嫌でも目にしていれば好きになれるときも絶望を抱くときもある、そんなものだろう。ただなぜか、私は物心ついたころからずっと、注目されることには慣れていた。ピアノの発表会用の衣装が高価だったせいで教室の女の子たちから仲間外れにされたり、学校で着替えをする際に透けた下着の色を理由に聞こえよがしな―ちょうどさっきみたいに―陰口を叩かれたり。小学校高学年、転校して初の水泳の授業で、生理だから見学したいと申し出たことが原因でクラス中からしばらく無視されたこともある。そのときばかりはさすがに、この学校の性教育はどうなっているのかと呆気にとられた。保健体育のカリキュラム、前のところと違うのかしら。
「まあしょうがないね、あんた妙に女っぽいとこあるから」
 母に訴えるとあっさりそう言われた。それで終わりだったので、てっきり気にもされていない、するべきことではないのだろうと捉えて忘れていた。
 ―あんまり女っぽいと、いっちゃんみたいに悪目立ちして、いじめられる。
 あの子があんなことを言い出すまで。
 次女はレールでも敷かれているように勉強一筋でいっこうに脱線しないし、思春期のはずの三女はいまだに大味な木綿の下着しか身につけない。
 本鈴が鳴り、友人たちは席に戻っていった。ため息をつきながらなんとなく顔を動かすと、くだんの女子生徒と視線が合った。すると、それまで人形みたいにぼうっとしていたはずの彼女の目が、その瞬間だけ獣のように鋭く光ってこちらを睨みつけた。
 突然のことにぎょっとしたけれど、私は顔を逸らせなかった。まったく身に覚えがないにもかかわらず、どういうわけか、彼女がなにを訴えているか、伝わってきた気がした。
 ―なぜ、あんたじゃなくて私だったの。
 ―黒々とした産毛や長いスカートや靴下、分厚い眼鏡で自分を守ってきたはずの私が、どうしてあんたの身代わりにならなければいけないの。
 そう言われてもね。
 糾弾の眼差しを受け止めながら、私は内心で反論した。
 少なくとも、あなたは選んだ。みずからその場所へ飛び込んでいった。私は違う。なにも自分から望んだことはない。ただ、目の前に差し出される手があれば握るだけだ。

 そのころは毎日、彼氏と一緒に帰っていた。
 通っていた高校には音楽関連の部活が吹奏楽部と合唱部とギター部しかなく、ピアノ以外に能のない私はけっきょく帰宅部を選んだのだけど、ときどきそれらの部活で手伝いをする機会があった。ギター部の部長だった彼からも「文化祭のステージで伴奏をお願いしたい」と声をかけられたことで知り合い、そのうち放課後だけではなく週末も一緒に練習したり、市民会館で開催されるというクラシックのコンサートに誘われてふたりで行ったりするようになって、文化祭が終わってから告白された。
「うまく言えないんだけど、他の子とはちがうんだ」
 イベント後にカップルが量産されるのはどの学校も一緒だなと思いつつ、あとに続いた理由には好感が持てた。
「きみを見ていると、いつも自分より人のことを優先して、どうしたら相手が喜ぶか、いちばんに考えているんだなってことが伝わってくる。だから、おれがそのぶんきみのことを喜ばせたいし、返していきたいって思ったんだ」
 学年はひとつ上で、眼鏡をかけたおとなしい先輩だった。ギター部を引退し、医学部のある東北の大学の受験を控えていた。自転車を押して歩きながら私を家まで送ったあと、その自転車に乗って反対方向にある駅前の予備校に向かうのが彼の日課になっていた。
「勉強だけでも大変なんだから、毎日送ってくれなくていいのに」
「おれが送りたいんだよ。最近暗くなるのも早いし、なにかあったら大変だから」
「なにかってなに?」
「ひったくりとか、追い剥ぎとか」
 彼はなにも知らない子供を、あるいは眩しいものを見るように目を細めたけれど、私は言及を避けられた内容にもちろん思い当たっていた。ナンパ誘拐露出狂痴漢レイプ、その他諸々。決して悪目立ちしてはいけない。赤い下着をまとったり、ドレスの裾をひるがえしたりして女っぽさをむやみに振りまいたら、なにをされても文句は言えないのだ。

(つづく)