「お父さんは?」
「予備校」
 高校受験のために予備校に通う次女を、父が晩酌を我慢して迎えに行くのがそのころの習慣だった。妹本人は「そんなことしてるのうちだけだから目立つし過保護」とうっとうしがっていたけれど、私は彼女くらいの年頃のとき、ピアノ教室の帰りに夜道で痴漢に遭遇して抱きつかれかけたことがある。なんとか逃げたけれど、そこから引っ越すと同時に両親はその話を二度と蒸し返さなくなった。
「最近はどう、あの子」
 母に限らず、家族で「あの子」とだけ呼ばれるのはたいてい三女だ。
「一緒にいるあいだ、よく見ててやってちょうだい。いっちゃんがいなくなるころまでには落ち着いてくれるといいんだけどねえ」
 次女の受験が終わってもあらためて部屋を戻すつもりはないらしいということに、その言い方で気がついた。
「お父さんとも話してるのよ、思春期にしたって度が過ぎる、いつまでもこのままにしておくわけにもいかないって。ゆくゆくはいい男の人と出会って、結婚して子供も産んで、ってなるからにはね。…わかるでしょ、いっちゃん?」
 返事もしていないのに、妙に言い訳がましい口調だった。なんだか飛躍がある気がするな、と内心で訝っていると、ふいに母が「いっちゃんにだけ、先に言っておきたいことがあるの」と居住まいを正した。
「来年、生まれるから」
「え」
「性別はまだ。もう女はじゅうぶん育てたし、そろそろ男の子かもね」
 そう言いながら、母はいかにも妊娠中らしく自分の腹部を撫でた。いつものぶっきらぼうな口調とは裏腹に、その仕草はやたらといとおしげだった。
…あ、そうなんだ。おめでとう」
 きっとまた、女が生まれるんだろう。
 母や私や妹たちとおなじ性別を持った人間が、私たちとおなじ道を通って出てくる。
 なんの根拠もなく確信しながら、私は母のお腹を凝視した。まだ目立った変化もなく、少しふくらんでいるのも服がたわんでいるだけだ。あそこがどんどん張っていき、そしてまたへこんだころには第三の「妹」が現れるのか、と想像しても実感はまるでなかった。それより私は、いままでもっぱら自分に向けられていた「非処女」というレッテルについて考えていた。もちろん三人も産んでいるからには自明なわけだけれど、それにしたってあからさまにそれであるはずの母が、こうして実の娘の視線にさらされながら堂々としていられるのが不思議でならなかった。
 下の妹ならたぶん、すぐに立ち上がってここから逃げ出すだろう。浴室か自分の部屋の二段ベッドの上か、とにかく安全な場所に逃げ込んで、絶対に出てこない。
「まだ他の子には内緒にしてちょうだい。ふたりともデリケートな時期だし」
 私の空想を読んだように、母はそう念押しした。
 自分がいつ「デリケートな時期」ではなくなったかわからないままうなずいたものの、それで終わりではなさそうだった。母の視線は私の顔を捉えたままで、閉ざされた唇から放つ沈黙はなにかを求めている。それはなんなのか考える一方で、私はドレッサーの鏡、母の肩越しに映る自分の顔が気になりはじめていた。視界に入れているとどんどん他人に見えてきて、いまにもその顔が滑稽な表情を浮かべて私を吹き出させ、母に叱られる様子をせせら笑ってきそうだった。
「お父さん、もう知ってるの?」
 当然よ、という母の口調は、なんとなく自慢げだった。
「いっちゃんにはいろいろ面倒かけるけど」
「うん、大丈夫。あと一年はうちにいるし」
「ありがと。で、あんた進路はどうする?」
 あきらかに後半に比重が偏っているのがわかった。片側の皿に勢いよく錘を乗せすぎた天秤を連想しながら、私はそのバランスをとろうとするように首を傾げた。
「ちゃんと話し合ったことがなかったでしょう? これまで、進路のこと」
 関西にある母方の実家、あるいはその近くに住んで、そこから音楽科のある大学に通うのは決定事項のはずだった。東京に出ることにこだわる必要もないでしょう、あっちだったら部屋も余ってるから家賃もいらないし、おじいちゃんおばあちゃんにもすぐ顔見せてやれるし。私がなにも考えないうちから、母はよくそう言っていた。父はどことなく不満げだったけれど、露骨に文句は言わなかった。この家を建てられたのは彼らの尽力によるところが大きく、その事実は私たちの想像以上に重くのしかかっていたのだろう。
 私自身はさしたる異存もなかった。たしかにそれで万事丸く収まる。ひとりでも孫が、とくにお気に入りである私が、近くにいれば祖父母の機嫌もよくなるだろうし、抜き打ちテストのようにちょくちょく「孫の顔を見に」来る彼らに母が神経をすり減らすこともなくなる。私があちらで車の免許を取って、いつも母が行き来が辛いと愚痴を言われているらしい病院への送り迎えを請け負ってあげてもいい。
 彼らの父に対する不満だって、存分に聞いてあげられる。あの子(この場合は母のことだ)は小さい頃から顔のいい男が好きでね、というのが、父がいないときの祖母の口癖だった。関西人特有のあけっぴろげさと抜かりのない周到さを矛盾なく同居させていた彼女のおかげで、私はセックスの存在を知るかなり前から、母が父に単身赴任をさせるのをかたくなに拒む理由が女性がらみであることを察していた。

(つづく)