【試し読み】日本ファンタジーノベル大賞受賞&デビュー作『約束の果て』④
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最新作『最果ての泥徒』が話題の高丘哲次さん。2019年に「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞したデビュー作『約束の果て 黒と紫の国』の冒頭部分を期間限定で毎日試し読み公開。選考委員の恩田陸さん、森見登美彦さん、萩尾望都さんに絶賛された、史伝に存在しない二つの国を巡る、空前絶後のボーイ・ミーツ・ガールを堪能ください。
歴世神王拾記 螞帝 巻一
伍州に生を受けたなら、螞帝を知らぬ者はない。日に臨むことない土中の蚯蚓にも、たった一日の生しか受けぬ蜉蝣にも、伍州の全てを手中にした王のなかの王の名は轟いている。だが一方で、広い伍州でもこの問いに答えられる者はただの一人もいないのだ。
いったい螞帝はどのような姿をされている?
知ると称するぺてん師があれば、その舌を抜かれても已む無い。古の書物に触れようと長老に古伝を訊ねようと、答えは得られぬはずなのだ。地神の外貌を目にした者など、何処を探しても見つけることは出来ない。
それを知る者は、愚老の他には潰えた。
偉大なる壙王の事績を正しく伝える者たちは、尽く伍州から消えてしまった。これは由々しき事である。多少歴史を識ると自任する者であっても、彼の偉大なる王を評することは出来ないのだ。
ある者は螞帝をこう呼んだ。
狂王であると。
短見浅慮も此処に極まれり。伍州に生を受けこの地を踏む者であれば、彼の偉大なる王に頭を垂れるべきであろう。この地の礎は全て螞帝が創り上げたのだ。
かくして、愚老が論を立てねばならなくなったわけである。もし地神の正体を識ろうと思うのであれば、螞帝の姿を見ようと所望するのであれば、この先へと進むが良い。
だが一足飛びに披露することは出来ない。これまで地の底に秘されていた螞帝の事績を白日のもとに晒そうとするなら、壙国の礼だけは守らねばならない。この愚老が語るのなら、尚更。
礼に欠かせないのは序列であり、語るにも順番が肝要である。よって螞帝の伝は、螞九と呼ばれた少年から始めねばならない。――愚老自序
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時は邃古り新しく上古より古く、神と人が交わっていた民神雑糅の世のことである。ところは玄州の北端。螞九は、珀嫗という老女に率いられた名もなき小部族の子として生を受けた。
螞九が珀嫗の実子であったのかは分からない。定かであるのは、珀嫗が一族の者たちすべてを子と呼んでいたこと。それは方便かもしれぬ。子であるなら、親である珀嫗の言いつけを守って当然であると。むろん、部族の者たちすべてがその老女に産み落とされた可能性もある。
少年であった螞九に、冴えたところを見つけるのは難しい。身体を見れば、瘦身矮軀で薄汚れたような浅黒い肌。表情に乏しく、自らの意思を示そうとすることもなく、つまりは愚鈍であった。もっともこれは、彼ら族人に共通する性質といえる。珀嫗の命令に従うばかりで、自ら何事かを成そうとすることはなかった。