新たな切り口で読み解く「令和の松本清張」――酒井順子『松本清張の女たち』1章まるごと試し読み①

本格ミステリ大賞評論・研究部門最終候補作!『松本清張の女たち』刊行記念特集

更新

 没後30年、いまだ衰えない松本清張の人気の秘密は「女」にある―そう考えて『松本清張の女たち』を執筆した酒井順子さん。

 松本清張は『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品で著名なサスペンスの巨匠。社会の理不尽や消したい過去の記憶に苦しむ人々が罪を犯していくさまをドラマティックに描き、映像化作品は数えきれないほど。その清張が描く「女」と聞けば、米倉涼子や武井咲が『黒革の手帖』『わるいやつら』で演じた悪女が真っ先に浮かびます。

 しかし酒井さんは清張が女性誌に発表した小説に注目し、そこに知られざるキャラクター―を発見しました。名付けて「お嬢さん探偵」。好奇心旺盛な良家のお嬢さんが事件を追う作品群で、清張は女性読者の憧れをくすぐりながら、女性誌にミステリー小説の風を吹かせたいと考えていたようです。しかし、悪意や欲望をみじんも感じさせないお嬢さんへの違和感からか、やがて「転落するお嬢さんもの」、そして「悪女もの」へと向かっていくことになります。

 今回の試し読みでは、『松本清張の女たち』から第三章「お嬢さん探偵の限界―『蒼い描点』『黒い樹海』『紅い白描』」を公開します。女性読者を意識して試行錯誤していた作家・松本清張の姿を想像しながらお読みください。

*****

お嬢さん探偵元年の二作

松本清張の女たち

松本清張の女たち

  • ネット書店で購入する

 昭和33年(1958)は、松本清張にとって読者の幅が大きく広がる年となった。『点と線』『眼の壁』がベストセラーとなり、社会派推理小説ブームが到来したのだ。
 清張作品における女性の存在に注目している私にとって、この年はまた「お嬢さん探偵元年」でもある。まずは年初に、お嬢さん探偵ものの原型をつくった『ゼロの焦点』の連載がスタート。同じ年に、女性が探偵役となる長編小説の連載を、さらに二作スタートさせている。
 その二作とは、同年7月に「週刊明星」で連載を開始した『蒼い描点』、そして同年10月に「婦人倶楽部」で連載を開始した『黒い樹海』である。「週刊明星」では、創刊と同時の連載開始。また「婦人倶楽部」は、女性誌における初めての長編推理小説の連載ということで、どちらも清張にとっては新たな挑戦であったに違いなく、その主人公として選ばれたのが、若いお嬢さんだった。
 この頃、すなわち1950年代後半の出版界は、週刊誌ブームと言われる状態にあった。昭和31年(1956)に創刊された「週刊新潮」の成功により、出版社系の週刊誌が次々に登場したのであり、集英社の「週刊明星」もまた、その一つ。週刊誌の創刊号を飾る連載陣として名を連ねるということは、時流に乗った人気作家の証だった。
 清張の小説の他、「週刊明星」創刊号には、長嶋茂雄と金田正一かねだまさいちの対談や、三島由紀夫の連載エッセイ「不道徳教育講座」といったページが続き、創刊当時の同誌は、青年誌としての色合いが強い。また、巻頭グラビアを飾るのが谷崎潤一郎と淡路恵子あわじけいこのツーショットであったり、「四大連載小説」として、清張の他に獅子文六ししぶんろく、石坂洋次、柴田錬三郎しばたれんざぶろうの連載がスタートしているのを見ると、小説家という職業の人気ぶりもうかがえる。一般家庭にはテレビがまだ普及していなかったこの頃、小説は重要な娯楽の一つだった。

素人女性を選んだ理由

 そんな「週刊明星」においてスタートした清張の『蒼い描点』は、『ゼロの焦点』から派生した、本格的なお嬢さん探偵ものの第一号である。主人公の典子は、女子大を出て文芸出版社に入社して二年目の、駆けだし編集者。彼女が「女流作家」(当時の言い方です)の原稿を取りに箱根まで行った時に、顔見知りのフリーライターの変死事件が発生する。典子が事件の裏側を探っていくと、やがて第二の殺人が発生し…というストーリーである。
 女子大出の編集者という主人公は、当時としてはかなり特殊な人物像だったと思われる。それというのも当時の女性の大学進学率は、五パーセント以下。基本的に女性は戦後になってはじめて大学に進学できるようになったことを考えると、戦後十年余の時点で女子大を出て出版社に就職している典子は、かなりのエリートなのだ。
 しかしそんな彼女も、職場では「女の子」扱いをされているのであり、編集部での呼び名は「リコ」。
「いやだわ、リコだなんて。キャバレーの女みたい」
 と、本人は抗議の声をあげているが、同僚たちは無視して「リコちゃん」「リコ」と呼び続けるのだった。
「キャバレーの女みたい」という典子の発言からは、水商売の女性に対する明らかな差別意識を見て取ることができるが、典子を嚆矢こうしとするお嬢さん探偵たちの一番の特徴は、まさに「水商売ではない」という部分にある。清張作品における印象的な女性登場人物の多くは水商売、もしくは元水商売なのだが、お嬢さん探偵ものでは、水商売感が一切漂わない、素人女性が主人公に据えられている。
 それは『蒼い描点』の三ヶ月後、「婦人倶楽部」で連載が始まった『黒い樹海』でも同様である。主人公は、二十代の姉妹。姉の信子は女子大を出て新聞記者として働いており、妹・祥子さちこは、小さな貿易会社で事務の仕事についている。ある日、仙台に行くと言って出かけていった姉が、なぜか浜松で事故死。その後、妹は姉に代わって新聞社に入社し、記者として働く傍ら、姉の死の謎について探っていく。
 女子大出かどうかについての記述はないが、姉の代わりに新聞社で働くことができるということは、祥子もそれなりの教育を受けた女性であることが想像できる。このように、高学歴・高キャリアというのが、清張作品におけるお嬢さん探偵の特徴であり、「週刊明星」と「婦人倶楽部」という、いわば〝女こども〟向けの雑誌で連載を開始するにあたって清張は、読者が憧れを抱くことができるような主人公像としたのではないか。

(つづく)
※次回の更新は、10月2日(木)の予定です。

※この続きは、新潮社より発売中の『松本清張の女たち』でお楽しみください。