書くことの本質を問う本格長編 木内昇『雪夢往来』試し読み②
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市井の人々の喜怒哀楽や、生涯かけて一つのものに打ち込む人物の苦悩と幸福を細やかに描いてきた歴史時代小説の名手・木内昇さん。最新刊『雪夢往来』は、江戸のベストセラー『北越雪譜』が世に出るまでの40年にわたるドラマティックな道のりを、作者の鈴木牧之、江戸の著名戯作者・山東京伝、滝沢馬琴、山東京山といった4人の作家の視点から描く物語です。1年の3分の1を雪と共に生きる越後ならではの暮しの知恵や行事、不思議な民話などを豊富な挿絵入りでまとめた『北越雪譜』の原稿は、豪雪を知らない江戸の戯作者や絵師を魅了し、多くの人物が刊行に力添えしたいと申し出ますが、あと一歩のところで何度も頓挫。牧之が遠い越後にいることも相まって、刊行までなんと40年もの歳月を費やしました。
今回の試し読みでは、第一章の二、山東京伝登場の場面から、京伝のもとに義三治の原稿が舞い込み、さらにそれを越後の義三治が知るまでをお届けします。越後・塩沢の縮仲買商・鈴木屋のあるじ・義三治(牧之)は、若い頃に一度だけ行った江戸で雪国の暮しぶりを語ったところ「そんなに雪が降るわけがない」と法螺吹き呼ばわりされます。その悔しさから、雪話を書いて江戸者を見返したいと、商いの傍ら原稿を完成させ、薄い縁を頼って江戸に送ったところ、思いがけず当時の大人気戯作者・山東京伝の手元に届きます。刊行への道のりが幕を開ける物語の大切なパートです。
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会いたいと訪ねてくる者を逐一相手にしていれば、それだけで一生が終わってしまうから滅多に門を開かぬが、京伝はけっして人嫌いではない。むしろ、とかく情に脆い性分を持て余し、常々他者に呑まれぬよう気を張っているほどなのだ。
「越後国からの依頼なのでございます。十年ほど前になりますか、東江塾にひと月ほど通っておった商人がございます。その者が、なんでも北国の綺談を集めて本にしたいと言って参りまして、書肆を紹介していただけないか、とのことで」
「なんだと。たったひと月塾生だっただけで、しかも十年も昔のことだってのに、おめぇさんに頼んできたかえ。どうも厚かましい野郎だね」
「正しくは父宛てに書状が届いてございます。しかし父は昨年亡くなりまして」
「それすら知らねぇのだろう。そんな奴ぁうっちゃっておきゃあいいだろう」
「はぁ。しかし毎年年賀の品を律儀に届けてくださっていたようで、無下にするわけにも。父のことを報せなかったのは手前どもの落ち度でございますから」
此奴も相当に人がいいと見える。袖振りあったほどの薄い縁しかない田舎者に頼まれて、銀座に日参した上にわざわざ吉原まで訪ねてくるなぞ――京伝は同病相憐れむ眼差しを、目の前の若造に向けた。
「で、わっちにどうしろってんだえ」
すると東里は、ケツの後ろに隠していた風呂敷包みを取り出し、それをずいと京伝の膝元に押し出した。
「一度、お目通しいただけませんでしょうか。お忙しいのは重々承知でございますが」
上目遣いで言う。目が細く、やや眇のせいだろう、野良猫が餌をねだるときの顔によく似ている。あいつらは、鰹節の削りかすだの魚の骨なぞを放ってやると一心に食らうが、食い終わった途端こちらのことなぞ知らぬといった白けた顔をしやがるのだ。
――この男も、要は厄介払いをしたいのだろう。
「面白ぇ読み物なら、わっちから板元に取り次いでもいいが……蔦重もおっ死んじまったしなぁ」
「そうでございますな。まったく大変な方を失ったもので。私ども読み手にとっても残念なことでございます」
耕書堂を営む蔦屋重三郎が逝ったのは、今年五月である。脚気を患ってのことだった。去年あたりから身体が重いとたびたび嘆いていたのだが、五十の声も聞こえてくりゃあちこち利かなくなるさ、と受け流していたことが今更ながら悔やまれる。蔦重と仕事をはじめたのが安永九年のことだから、十七年にも及ぶ付き合いだった。ここ数年は、稿本を渡す板元を耕書堂と仙鶴堂に絞っており、いっそう繋がりが深まっていただけに、京伝の気落ちも一通りではなかった。蔦重のやり方に、他所の板元からは「書き手の囲い込みだ」と批難の声もあがっていたようだが、十八歳ではじめての黄表紙を書いてからこれまで、さまざまな板元と係り合ってきたものの、あうんの呼吸で仕事が運ぶ相手は決して多くないというのが京伝の実感なのだ。