「しかし耕書堂は、二代目が継いだとか」
抜け目なく東里が食い下がる。
「うむ。代替わりしたおめぇさんの書塾と一緒だな」
京伝は適当に答え、差し出された風呂敷包みをおざなりに解いた。
真っ先に、雪の中に仁王立ちする奇妙な生き物の絵が目に飛び込んできて、京伝を驚かせた。人の倍ほどの大きさで、全身毛むくじゃらである。顔まで毛に覆われて、どこが目だか鼻だかわからない。しかし京伝を一瞬にして惹き付けたのは、その奇天烈な生き物よりも、絵の巧みさであった。
「これは、どこぞの絵師が代筆したのかえ」
「いえ。当人が描いたものか、と。確か、狩野派の門人について絵を学んだことがある、と父の書塾に通っていた折、語っていたような。うろ覚えでございますが」
ふぅん、と相槌を打ちつつ、京伝は次々と紙をめくっていく。雪の中を大きなせんべい様の草鞋を履いて歩く様、雪が戸口を突き破って家の中になだれ込む様、雪原に大判の布を晒す様、見たこともない奇虫が舞う様――江戸に生まれ育った京伝にはいずれも、にわかに信じられぬ光景で、どこまでが創作でどこからが現か判じがつかなかった。
夢中になったときの癖で、盛んに眉間を掻いていたのを見咎めたのだろう、それまで黙って控えていた玉の井が畳に広げられた絵を覗き込み、
「これはすべて、お伽の絵でござんしょう」
と、東里に訊いた。まったく不思議なのだが、彼女は時折、あたかも京伝の胸の内を見透かして、それを代弁するように言葉を継ぐことがあった。そのたび京伝は、大きなものに救われたような心持ちになる。
「それが、どうやら作り事ではないようでして。すべて越後国で起こったことだと文にはございました」
まぁ、と玉の井が目を丸くした。
「手前どもにはどうにも信じがたいことですが。牧之さんは江戸にいらしたとき、あまりに故郷のことが知られておらぬと感じたのでしょう。越後の綺談と風俗を広く伝えたいと稿を起こしたようでございますね」
「ぼくし、ってなぁ名かえ」
京伝はようやく紙の束から目を上げる。
「ええ。鈴木牧之さんとおっしゃいます。うちにいらしていた時分は、確か儀三治さんと名乗っておられましたが、俳号かなにかでしょうかねぇ」
「戯作者でもねぇのにいっぱしに戯号をつけるたぁ、なかなかだね。しかし、随筆ってなぁ当今さっぱり売れねぇのだぜ。こいつを欲しがる板元があるかねぇ」
鬢を掻いた京伝を、そこをどうか先生のお力で、と東里が拝み倒す。はてどうしたものか、と流した目が、玉の井の濡羽色の瞳に突き当たった。と、彼女の目が、常のように弓形にたわんだのだ。
――仕方ねぇな。
京伝は、ぐるりと首を回したのち、紙束を取り上げて東里に言った。
「承知の助だ。まずは預かってみるさ」
(つづく)
※次回の更新は、5月20日(火)の予定です。
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