書くことの本質を問う本格長編 木内昇『雪夢往来』試し読み④

書くことの本質を問う本格長篇 木内昇『雪夢往来』特集

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市井の人々の喜怒哀楽や、生涯かけて一つのものに打ち込む人物の苦悩と幸福を細やかに描いてきた歴史時代小説の名手・木内昇さん。最新刊『雪夢往来』は、江戸のベストセラー『北越雪譜』が世に出るまでの40年にわたるドラマティックな道のりを、作者の鈴木牧之、江戸の著名戯作者・山東京伝、滝沢馬琴、山東京山といった4人の作家の視点から描く物語です。1年の3分の1を雪と共に生きる越後ならではの暮しの知恵や行事、不思議な民話などを豊富な挿絵入りでまとめた『北越雪譜』の原稿は、豪雪を知らない江戸の戯作者や絵師を魅了し、多くの人物が刊行に力添えしたいと申し出ますが、あと一歩のところで何度も頓挫。牧之が遠い越後にいることも相まって、刊行までなんと40年もの歳月を費やしました。

今回の試し読みでは、第一章の二、山東京伝登場の場面から、京伝のもとに義三治の原稿が舞い込み、さらにそれを越後の義三治が知るまでをお届けします。越後・塩沢の縮仲買商・鈴木屋のあるじ・義三治(牧之)は、若い頃に一度だけ行った江戸で雪国の暮しぶりを語ったところ「そんなに雪が降るわけがない」と法螺吹き呼ばわりされます。その悔しさから、雪話を書いて江戸者を見返したいと、商いの傍ら原稿を完成させ、薄い縁を頼って江戸に送ったところ、思いがけず当時の大人気戯作者・山東京伝の手元に届きます。刊行への道のりが幕を開ける物語の大切なパートです。

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 二代目蔦屋重三郎が訪ねてきたのは、結局これより三日のちのことであった。初代は、「明日また伺う」と言伝ことづてれば必ず約束を守ったが、この二代目は日限にやや緩いところがある。
真野是翁まのぜおうが亡くなったそうですよ。まぁなんですか、あちこち死に盛りですなぁ」
 京伝の書斎に入るや、彼は縁起でもないことを口にした。是翁は故実に通じた学者である。特段いたんでいるふうでもないのに、二代目が誰ぞの訃報を口にするのは、初代が逝ってからすっかり習いになっている。その心裏には、京伝にも覚えがあった。お菊が死んでしばらくは、周囲のとむらいを必死に数えていたのである。ああ、酷い目に遭ったのはお菊だけじゃあねぇのだ、人が死ぬというのはどこにでもあることなのだ、そいつぁ自然のことわりなのだ、と女房が弱っていくのを見ているだけでなにもできなかった己を、そうやって慰めていたのだ。
「それで、例の稿本でございますが、いかがでござんしょう。板木屋はんぎやが小刀を持って待っているんでございますよ」
 揉み手をせんばかりの調子で二代目が言った。彼はもともと、勇助ゆうすけと名乗る耕書堂の番頭だった男で、陰となって初代を支えていたせいか、京伝に対しても、同胞のごとく接してきた初代とは異なり至極下手したてに出る。
「うむ。だいぶ枠組みが出来てきたよ」
 今年に入って京伝は、まったく新しい仕事に取りかかっていた。読本よみほんの執筆である。長らく黄表紙や洒落本しゃれぼん、滑稽本を書いてきたが、戯作者となって二十年目にしてようよう本格的にこの領域に踏み込んだのだ。
 風刺ふうしを交えた物語を画と組み合わせて読ませる黄表紙や、主に遊廓を舞台にして男女のやり取りを描いた洒落本に比べると、読本はけっして売れ行きがいいとは言えない。半紙本で高価なこともあるし、伝奇的思想的で和漢混交の物語を読むにはそれなりに教養がいるから、読者を選ぶ。黄表紙のように、誰でもさらっと読めて、気楽に楽しめるわけではない。ただそれだけに、書く側は挑み甲斐があった。巧者ごうしゃたちを己の筆で唸らせたい、という欲である。
「この調子でいきゃあ、来年にゃあ一通り書き終わるだろうよ」
「それはよござんす。先生が新たに取り組まれる読本ですからね、華々しく宣伝を打とうと鶴喜つるきとも話しておるんでございますよ。なにしろ私どもふたつの板元の相合板あいあいばんで出させていただくだけに力も入ります。どうでしょう、『教訓水滸伝すいこでん』とこう、大きく刷ったものを書肆の店先に貼るというのは」
「その件なんだが」
 京伝が遮ると、
「そういった宣伝じゃあないほうがよろしゅうございますか」
 と、二代目はおどおどと手を揉んだ。自信がないのだろう。もっとも、一代で耕書堂を当代一と言われる板元に押し上げた初代となにかにつけて比べられる身とあっては、気が抜けぬのも道理だ。お抱えの戯作者の機嫌を損ねて離れられては、耕書堂の格は呆気なく地に落ちてしまう。
「いや、宣伝は板元の役目だ、どうしようと任せるが、題簽だいせんに書く文言さ」
 京伝はしばし間を置いて、告げた。
「『忠臣水滸伝』に変えてぇと思うんだが、どうだね。『教訓』だとどうも堅っ苦しくていけねぇ。読本とて、好きに読んでもらいてぇと思ってね」
「なるほど。それはよろしゅうございます。忠臣ですか。先生の御本には、『忠臣蔵前世幕無ちゅうしんぐらぜんぜのまくなし』や『忠臣蔵即席料理』もございますからな」
「あれぁ黄表紙だから、また違うさ」
「そうでしたな。…ときに、先生はこれから読本だけでいかれるのでございますか」
 二代目の面差しに、案じるような影が差している。売れたところで千部に届かぬ読本の分野に拘泥こうでいするよりも、これまでの分野に戻してはどうか、という内心が透けて見える。ことに遊廓での色恋を主軸に据えた洒落本は、薄利多売の黄表紙に比して、値付けが高い割に数ははけるから実入りがいい。よってどの板元も、洒落本を書けとけしかけるのだ。
 案の定二代目は、「また洒落本もお書きになってくださいまし」と、愛想笑いを向けてきた。
「洒落本ねぇ…。しかし、また御上おかみにとっちめられるのも嫌だぜ」
 京伝ははぐらかす。今から六年前、手鎖てじょうに処せられたことが古傷となって、未だじくじくと痛むのだった。
「もうさようなことはございませんよ。着物も髪も質素にせよと広く命じた、かの吝嗇りんしょくなお方は、老中の座を降りられたことでございますし」