書くことの本質を問う本格長編 木内昇『雪夢往来』試し読み⑤

書くことの本質を問う本格長篇 木内昇『雪夢往来』特集

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市井の人々の喜怒哀楽や、生涯かけて一つのものに打ち込む人物の苦悩と幸福を細やかに描いてきた歴史時代小説の名手・木内昇さん。最新刊『雪夢往来』は、江戸のベストセラー『北越雪譜』が世に出るまでの40年にわたるドラマティックな道のりを、作者の鈴木牧之、江戸の著名戯作者・山東京伝、滝沢馬琴、山東京山といった4人の作家の視点から描く物語です。1年の3分の1を雪と共に生きる越後ならではの暮しの知恵や行事、不思議な民話などを豊富な挿絵入りでまとめた『北越雪譜』の原稿は、豪雪を知らない江戸の戯作者や絵師を魅了し、多くの人物が刊行に力添えしたいと申し出ますが、あと一歩のところで何度も頓挫。牧之が遠い越後にいることも相まって、刊行までなんと40年もの歳月を費やしました。

今回の試し読みでは、第一章の二、山東京伝登場の場面から、京伝のもとに義三治の原稿が舞い込み、さらにそれを越後の義三治が知るまでをお届けします。越後・塩沢の縮仲買商・鈴木屋のあるじ・義三治(牧之)は、若い頃に一度だけ行った江戸で雪国の暮しぶりを語ったところ「そんなに雪が降るわけがない」と法螺吹き呼ばわりされます。その悔しさから、雪話を書いて江戸者を見返したいと、商いの傍ら原稿を完成させ、薄い縁を頼って江戸に送ったところ、思いがけず当時の大人気戯作者・山東京伝の手元に届きます。刊行への道のりが幕を開ける物語の大切なパートです。

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 これ以上、「戯作者とは」といった話を続けるのも億劫で、京伝は文机に置いたままの紙の束を取り上げた。
「これ、あんたのところで、どうだえ。なかなか面白いぜ。越後の者が書いた随筆だが、絵もよく描けてる」
 話の腰を折られた格好になって、二代目がムッと鼻の穴を膨らませる。こうして顔に出してしまうところはまだまだ青い。
「どなたのお作です」
「鈴木牧之、とかいう御仁だ」
「知らぬ名ですな。先生とはどういった係り合いでございますか」
「いやぁ、係りはねぇのだ。ちょいと頼まれてね、見てくれってんで見たのさ。はじめて書いたものらしいよ」
 二代目の眉が、見る間に曇っていく。
「まったく板本を出したことのない方のお作となると…。うちは代が替わったばかりということもございまして、なんと申しますか、強い作を続けて出して、耕書堂ここにあり、というのを印象づけたい時期でございまして」
 中身を見もせずに、二代目は言葉を選びつつもはっきり断ってきた。その厳然とした態度に、ここで粘っても無駄だろうと京伝はそれ以上話すことを諦める。
「では、先生の稿本が仕上がるのを楽しみにしております」
 念入りにぬかずいて二代目が帰ってから、京伝は詮方せんかた無しに、沢田東里の書塾にふみをしたためた。鈴木牧之なる人物について、より細かに知りたい、と要望を出したのだ。
 ―わっちもお人好しだね。他人のことに係り合っている暇はねぇのだが。
 自作を板行したいという者は、時と場所を選ばず際限なく現れる。板元がそのすべてを相手にすることはかなわない。なにか目新しい引きがなければ、取り上げられることは難しかろうと考えてのことだった。
 返信は、文を出してから二日ののちに届いた。そこには、牧之が書画ともに幼い頃より学んできたこと、商才も確かで店を着実に繁盛させていること、子供がふたりいて、かつては妻もいたが今はいないようだ、といったことが、思いつくままといった調子で書かれてあった。
 ―牧之とやらも、女房を亡くしたのだろうか。次の嫁選びで手間取っていたりするのだろうか。
 己と似ている境遇らしく思えて、不思議な親しみを覚える。
 越後国について、京伝はほとんど知識がなかったし、これまで深く知ろうとも思わなかった。ために沢田東里から売り込まれた稿を一旦預かりはしたものの、頃合いを見て突っ返せばそれで向こうの気は済むだろうと、ぞんざいに考えていたのである。ところが牧之の絵が優れている。さらに、興味深い風俗が次々に登場し、たちまち引き込まれた。いずれも、空想の産物ではなく、うつつに存在するものらしい。いや、想像では思いも付かないような暮らしが江戸から遠く離れた地で当たり前に営まれていることに、京伝は動じもしたのだった。それは、文机の前でいくら粘って奇想天外な話を編み出したところで、結局現にはかなわねぇのかもしれねぇ、という一種の落胆をも伴っていた。牧之の書き味はまだまだ未熟だが、これを一書にまとめる工程で、長らく浮世から離れて草紙の世界に肩まで浸かっていた己の中の、新たな扉が開くのではないか。これから読本という分野に打って出るのに、それはきっと役に立つだろうという欲心も、ちらと交じっている。
 ―蔦重が難しいなら、鶴喜にでも話してみるか。
 鶴屋喜右衛門つるやきえもんが営む仙鶴堂は、もとは京で興った板元で、今は江戸の通油町や大坂にも店を出し、手広く商いをしている。鶴喜は蔦重と同じく二代目だが、「初代と私は違いますから」と枕詞まくらことばよろしく口にして、独立独歩新たな仙鶴堂を築いていた。ことに錦絵の板行に力を入れ、今年は喜多川歌麿きたがわうたまろの三枚綴りの大判絵を出して評判を取ったばかりだ。
「なるほど、なかなか面白うございますな」
 おととしあたりから急に細かい字がぼやけるようになったんですよ、と言い訳がましく言って、鼻に眼鏡を載せた鶴喜は、牧之の書をめくりながら幾度も頷いた。
「どうだろう、牧之著述にして、わっちの校合としてもいいぜ」
 告げると鶴喜はすかさず、
「ええ、ええ。まことに、よろしゅうございますな」
 と、抑揚を欠いた声で合いの手を入れる。その様を見て京伝は鼻から息を抜く。鶴喜がこうして心のこもらぬ讃辞を放るときは、乗り気でない証なのだ。
「ところで『水滸伝』の進み具合はいかがでございますか」
 案の定、さっさと話をすり替えた。