馬琴が『南総里見八犬伝』を完成させるのに、28年もの月日を費やしたことは、しばしば話題になるが、儀三治の原稿は結果が出るまでに40年近く、小説では380ページが必要だったのである。私は儀三治こと牧之の人生も執筆歴もまったく知らなかったので、出板の話があっちにいったり、こっちにいったりするたびにハラハラした。データもコピーもファクスもない時代、あるのは生原稿だけ。紙の束が汚れたり、紛失したり、火事にでも巻き込まれたらと思っただけで、緊張する。
もうひとつの読みどころ、作家と家族では、やはり馬琴のキャラが際立っている。
ものすごく感じが悪いのである。
はじめて京伝のもとに現れた馬琴は、士分だと言いながら、薦被りの物乞いの風体だった。京伝に叱咤されて商家に婿入りし、戯作者として頭角を現すが、ひねくれ者の馬琴は、恩あるはずの京伝を疎んじはじめる。京伝の妻が苦界にいたことを承知で、自分の妻を醜女と言いつつ「でもね、苦界に沈んだ女よりはずっときれいですよ。汚れちゃいないんだ」と京伝本人の前で口にするのだ。京伝が死んだときも、葬儀を知らせにきた板元と話しながら、心の中で「死んだのちもなお、京伝にかしずけというのか」「確かに戯作者への道筋をつけてもらったかもしれぬが、京伝が手鎖の刑以来意気をなくしていた折には彼の戯作の代筆までしてやったのだ。恩があるのは向こうのほうだろう」と毒づき続ける。
あー、感じ悪い。こどものころ、NHKの人形劇「新八犬伝」に夢中になった身としては、こんな感じの悪いおっさんが書いた物語に泣き笑いしていたのかと思うと、反省したくなるほどだが、作品の面白さと作者の人柄は、別物なのだということもよくわかるのだ。
馬琴との確執は、京山に引き継がれ、第二ラウンドとなる。うっかり儀三治の話を忘れそうになったが、原稿を預かった馬琴は、タイトルを「越後雪譜」と提案するなど、一応、板行に向けて力添えをしてはいたのである。しかし、30年ぶりに江戸に出て、書籍化に必要と思われる地元の地図を持参した儀三治に、馬琴は、他の仕事にかかっているから「今はいらんからな」と追い返してしまう。
やれやれ。
しかし、やりたい放題、言いたい放題の馬琴が幸せだったかは、まったくわからない。晩年は歯は抜け落ち、失明もする。士分を継ぐはずだった嫡子を若くして亡くしてもいる。京山も兄のような天才肌の戯作者にはなりえない葛藤をずっと抱えている。儀三治にしても、実母の嫁いびりによって、最初の妻が実家に返され、二番目の妻に逃げられ、一番気が合った三番目の妻には先立たれた。四番目の妻は、わざわざ塩沢に訪ねてきた京山父子の長逗留にいい顔をしない。息子も亡くした。
それでも馬琴も京山も儀三治も書くことをやめなかった。
戯作者のほとんどは副業を持っていた。潤筆料だけで暮らしていけたのは馬琴くらいだったという。現実は「本を書きあげたところで、また、それがいかに売れたところで、板元の主人に一晩飲み食いさせてもらって終いなのだ」。それでも書くしかなかった。物書きの因果に戦慄しつつ、うらやましくも思うのだ。