愛の「リスタートと終活」 白石一文最新長編恋愛長編『睡蓮』試し読み②

愛の「リスタートと終活」 白石一文最新刊『睡蓮』刊行記念特集

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私は、私の人生を夫から取り戻さなきゃならない―。

元新聞社勤務の櫻子は67歳。エリートコースを歩み続けた最愛の兄・貴之が鬼籍に入って17年が経つ。義姉の智子は、かつて貴之の元を突然去り、幼なじみと再婚していた。貴之を偲ぶ会以来、1年半振りに会った智子は、モネの「睡蓮」を鑑賞してきたという。その「睡蓮」こそが智子の人生を決定づけたというのだ。そして、智子は離婚と再婚の真意を語り始める。一方で櫻子は…。

直木賞作家・白石一文さんの最新作は、愛の「リスタートと終活」がテーマの恋愛長編です。櫻子と智子が胸に隠していた貴之の死の秘密、そして死の直前に彼が救いを求めた相手とは…。残り僅かな人生、真っ当で歪な愛を誰に託すのかを問いかける『睡蓮』の冒頭部分を10日連続で特別公開します。

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睡蓮

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 先に飲物が届き、互いのグラスに軽くぶつけて乾杯した。
「二年ぶりかな」
 智子が言うので、「一年半だね」と返す。
「そっか。貴くんの偲ぶ会以来だもんね」
 智子がまた照れたような笑みを浮かべた。
「それ、モネ?」
 ワインを一口飲んでグラスを卓上に戻すと、智子の隣の椅子にバッグと一緒に置かれた紙袋を指さす。袋全体にクロード・モネの「睡蓮」とおぼしき絵がプリントされている。
「そうそう。西洋美術館で特別展をやっていたから。今日が最終日」
「じゃあ、激混みだったでしょう?」
「すごい行列。といっても私はだいぶ前にネットで予約していたからすんなり入れたんだけどね」
 電話で言っていた「上野の美術館に行く予定」というのはそのことだったのだ。
智子は紙袋を持ち上げて、中から分厚い大判の本を取り出す。本の表紙全体も「睡蓮」で、青い水、緑の葉、そして白い睡蓮が描かれている。今回の企画展のカタログ(図録)のようだ。
「はい」
 と言ってテーブル越しに本を差し出され、「どれどれ」と呟きながら受け取る。ずっしりと重い。
「拝見」
 と断ってから表紙を捲ると、別紙の作品リストが挟まれていて、「モネ 睡蓮の愉楽」という展覧会のタイトル、国立西洋美術館での開催期間、そして今回展示されている作品がリストアップされている。
 むろん西洋美術館所蔵(松方コレクション)から選ばれたモネの作品も入っているが、圧巻はパリのマルモッタン・モネ美術館収蔵の絵が多数、貸し出されていることだろう。解説によれば、五つに区切られたそれぞれのコーナーで計二十四点の「睡蓮」が展示され、そのうち十八点がモネ美術館のコレクションだそうだ。
「かなり大規模だね。睡蓮だけでもすごい数が出てるじゃない」
 モネの「睡蓮」はどれも非常に高額な絵画だ。美術館同士の収蔵品の貸し借りに対価は必要ないが、しかし、万が一の破損、盗難にそなえての保険料はかかる。これだけの「睡蓮」を借り受けるとなるとその保険料も莫大になるはずだ。
 長年、新聞社の事業部で”イベント屋”をやっていた身としては、真っ先にそういうことが頭に浮かんでくる。
 さすが国立西洋美術館だな、と思う。