「掃除のおばちゃん」と地面師詐欺のスゴ腕手配師二つの顔を持つ女の華麗なる半生――『手配する女』試し読み③
誇り高き女地面師の半生を描く 痛快ノワール誕生! 山口恵以子 『手配する女』刊行記念特集
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土地の持ち主になりすまして不動産業者に架空の売却話を持ち掛け、大金をせしめる「地面師詐欺」。Netflixドラマ『地面師たち』でその存在を知った人も多いでしょう。山口恵以子さんの新刊『手配する女』は、地面師グループの中でなりすまし役をスカウトし、教育する女手配師の波乱万丈の半生を描いた一気読み必至のピカレスク小説です。
75歳の三矢唯は都心のオフィスビルで清掃の仕事につく平凡な「掃除のおばちゃん」ですが、真の顔は地面師事件で暗躍してきた女手配師。かつては寿退社を夢見る善良なOLでしたが、詐欺に遭って全てを失い、奇縁あって騙す側に転じた過去を持っています。窮地に陥った人々に大金をもたらす手配の仕事を「人助け」と考え、昭和・平成・令和の裏社会を駆け抜けてきた彼女が迎えた人生最後にして最大の案件とは――。
『手配する女』試し読みは、唯が掃除のおばちゃんと手配師、二つの顔を操る冒頭部分を全4回で特別公開します。逆境に負けず、前を向いて生き抜く女を描いてきた山口さんの作品史上、もっとも強く、痛快な生き方を見せるヒロインの姿をお楽しみください。
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「まずは、乾杯しましょう」
一同はグラスを取り、下斗米の音頭で「再会を祝して」と乾杯した。
半分ほど飲んだところで下斗米はグラスを置き、口を切った。
「料理が来る前に、仕事の話を済ませようか」
続いて忍足に目を向けた。
「あれを」
忍足は傍らに置いた書類鞄からクリアケースを取り出した。中には書類の束が挟まれていた。忍足は一部ずつクリップで留められたA4の紙束を、唯と迫水、鎌田に手渡した。
三人は一枚ずつ紙をめくり、内容を確かめた。ターゲットとなる土地に関する情報がすべて網羅されていた。現状の写真、公図、周辺地図、登記事項証明書、市場価格、そして用途地域や建蔽率などの物件概要に加え、所有者の来歴や個人情報まで揃っていた。
忍足とその配下のグループが手分けして調査したものだ。いつもながら徹底的に調べ上げている。かつて大手調査会社に所属し、辣腕で鳴らした調査員だったという経歴は、伊達ではない。
「でもここ、前に却下になった土地だよね?」
書類から目を上げた迫水が、いくらか非難がましい口調で問うた。
「前回はね。ところが、事情が変わった」
忍足がしたり顔で答えた。
唯も資料を凝視した。たしかに前にも見たことのある物件だ。住所で言えば台東区池之端三丁目、不忍池の北に位置し、上野恩賜公園と隣接した一角の、七百坪を超える広大な土地だった。東京メトロ千代田線根津駅とJR上野駅の中間地点で、どちらも徒歩圏内にある。
江戸時代には上野寛永寺の門前町として発展し、料理屋と出会い茶屋と陰間茶屋……つまりラブホテルと男色用デリヘルが軒を連ねていた。場所柄、不忍通り沿いには現在も飲食店とホテルが多いが、少し東へ入ると高級マンションも誕生している。池之端は台東区で最も治安の良い地区であり、上野恩賜公園に隣接し、東京大学にもほど近い立地条件から、住宅地としての価値も高いのだ。
東京では一等地に建つ高級マンションの値段は上昇中で、バブル時代を超えたといわれて久しい。今現在、開発されつくした都心に七百坪の敷地を確保するのは至難の業だ。大手ハウスメーカーやデベロッパーは、喉から手が出るほど欲しいに違いない。
「時価総額、少なく見積もっても百億は堅い」
百億という数字に、唯も迫水も鎌田も、一瞬息をのんだ。これまで億単位の仕事は何度もこなしてきたが、十億を超える物件はバブルが終わって以来、ほんの一、二度しか経験していない。それが一気に百億とは。
しかし、前回、この土地を候補から外したのには理由がある。
土地の持ち主は野添さつきという今年75歳になる女性だった。独身で家族はいない。20年前に母親が亡くなった時、土地建物すべてを一人で相続した。母親の存命中から土地買取りの申し出は殺到していたが、野添さつきはすべて断り、やがて業者との接触も拒絶するようになった。今はどの業者も本人と連絡が取れないでいる。
野添家は大きな旅館「抱月荘」を経営する代々の地主で、さつきの母は家付き娘で父は養子だった。
昭和20年末、野添夫妻は旅館の隣接地に映画館をオープンした。経営は順調だったが、昭和40年代に入って映画業界が斜陽になると、映画館を改築してボウリング場を始めた。しかし5年後に経営に行き詰まると、更地にして駐車場にした。それは今も残っていて、野添家に収益をもたらしている。
忍足は前回抱月荘がターゲットになった時、月極駐車場を契約して周辺情報を徹底的に収集した。契約は今も継続しており、抱月荘に動きがないか、常に注意を怠らずにいたという。
2002(平成14)年にさつきの母親が老人介護施設に入所すると、家業の「抱月荘」も廃業した。
以来23年、さつきは廃墟のような建物に一人で住んでいる。手入れをされない庭木は縦横に枝を広げ、さながらジャングルと化していたが、業者を入れる気はないようだ。
前回、野添家の土地が話題に上がった時、だれもが不思議に思って忍足に訊いた。どうしてさつきは結婚しなかったのか、と。大きな旅館の一人娘なら、婿(むこ)を取って旅館を継ぐのが普通なのに。まして「抱月荘」は料理が有名で、政財界の名士や文化人がこぞって訪れる名旅館だったのに。さつき自身は小学校から女子大まで、お嬢様学校で知られた慧陽女子学院にエスカレーターで通った箱入り娘で、結婚を妨げる条件はなかったはずなのに。
「それがな、気の毒な話なんだが、野添さつきは右手の先がないんだよ」
忍足は内心はともあれ、不憫そうに言った。
「今でいうストーカーに襲われたんだ。女子大からの帰り道、待ち伏せされて……」


