マケライネンの存在を教えたことが、アキの人生を変えた。
まずそれが、どういうことか説明しなければならない。
1998年、俺が15歳のときだった。初夏だ。制服が冬服から夏服に変わった日だったから、よく覚えている。俺はあいつに、アキ・マケライネン、のちにアキの人生を大きく変えることになる、フィンランドのある俳優のことを教えたのだった。
映画が好きなのは、小学生のときからだ。
その頃は、今みたいに、インターネットで手軽に映画を観ることは出来なかった。まだレンタルビデオ屋が盛況だったその時代、俺はあらゆる作品を観ていた。俺の父が収集したVHSが山のようにあったからだし、その映画を観るためだけに購入された大きなプロジェクターとVHSデッキもあったからだ。
父は幼い俺に観せていい映画と、観せるべきではない映画を分けておくような人ではなかった。雑誌や書籍のデザイナーをし、ありとあらゆる映画に精通していた父は同時に、相当の趣味人でもあった。彼の部屋にはVHSの他に、数えきれないほどのレコード、そして書籍が溢れ、部屋の隅には無造作に絵画が立てかけられていて、実はそれは著名な誰かが描いた作品だったりした。
その部屋を父は愛していた。でも、「取材」だと言ってありとあらゆるコンサート、映画館、美術館に出かけていて、時々それは海外にも及ぶものだから、この部屋にいることは少なかった。
母は、俺が父の部屋に出入りすることをよく思っていないようだった。でも、俺を四六時中見張っていることは出来なかったし、子供用にそれらを分類出来るような状況ではなかった(彼の膨大なコレクションの中には、古いディズニー映画やスタジオジブリ、つまり「良質な子供向け映画」もあるものだから、話がややこしかった)。
俺は一日の大半を父の薄暗い部屋で過ごし、興味を持った映画を片っ端からデッキに放りこんだ。正直、ヤバい作品もだいたいその段階で観ていた(例えば俺が『愛のコリーダ』を観たのも、小学生の時だ)。
俺がアキ・マケライネンを知ったのは、『男たちの朝』という映画だった。
ヘルシンキで職にあぶれた男が、酒場で昔の不良仲間に会う。悪事を働く計画を企てようとするが、様々なタイプの邪魔が入って(酒場の主人と義弟が喧嘩を始める、マケライネンのことを自分の死んだ夫だと思い込んだ老婆に話し込まれる、孕んだ猫がテーブルの下で産気づく、など)話は頓挫する。結果彼は、何もない朝を迎える。
派手なアクションも、危機感溢れる強盗シーンもない。映るのは寂れた酒場と疲れた男たち、そして、マケライネンのどこか諦めたような顔だけ。密室の会話劇で、2時間を超える作品だった。
キャストや内容込みでマイナー中のマイナー映画だ。でも、後年スパイク・ジョーンズがこの作品の、そして何よりマケライネンのファンであると公言してからは、幻の作品として、映画ファンの間で認知されるようになった。
彼の最大のメジャー出演作品は、1978年公開のクライムムービー、『闇からの脱走』だ。マケライネンは、人間の頭を握力だけで砕くことが出来るイカれた悪役を演じた(残念ながら日本では公開されていない。でも、『007』でリチャード・キールが演じたジョーズをしのぐ恐ろしさだったと、タランティーノも褒めていたそうだ)。それでも、知る人ぞ知る人物であることに変わりはなく、しかもその頃には、本人はもうこの世にいなかった。酔っぱらって外で寝て凍死したからだ。40歳のときだった。
俺自身、スパイク・ジョーンズがちょっとしたブームを作る前から、彼のことが妙に心に残っていた。誓って言いたい。当時、友人に『男たちの朝』を観ることを薦めた高校生なんて、日本でも、いや世界でも(フィンランドを入れたとしても)俺だけだったはずだ(その頃にはまだ、スパイク・ジョーンズも映画監督としてデビューすらしていなかったのだから)。
「お前はアキ・マケライネンだよ!」
俺が初めて、アキにかけた言葉だ。