アキは毎日俺の教室を訪れ、とにかくマケライネンのことを話したがった。
「か、か、顔の前でて、て、手を振るの、いい、い、いよね。」
「あ、あ、あの煙草をすす、吸うシーンでさ。」
 自分に似ている、というだけでこんなに誰か(しかも奴が似ているのはウィル・スミスでもブラッド・ピットでもない。フィンランドのスーパーマイナーな役者なのだ)に夢中になるなんて、俺には理解出来なかった。アキの熱意は普通じゃなかった。それでもその時間が、俺は楽しかった。
 俺とアキの交流を奇異な目で見ていたクラスメイトも、それが日常のことになると、みんなアキに興味を持ち始めた。俺がアキと楽しそうに話していると、初め恐る恐る話しかけてきて、それから結局、アキに夢中になった。
 アキは面白い奴だった。
 アキ・マケライネンだと名乗る。つまりアブない奴ではあるが、アキは基本めちゃくちゃいい奴だった。そしていわゆる天然だった。俺たちの質問に、いつも素っ頓狂な答えを返し、俺たちが「なんだよそれ!」と笑うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご、ごごごめん、目が悪いから。」
「目じゃなくて耳だろ!」 
 それはお決まりのやり取りになったけど、アキは本当に目が悪かった。なのに眼鏡をかけていないしコンタクトもつけていないのは、マケライネンと同じだった。アキはそれを喜んだ。
「じゃあ授業中どうやってノート取ってんの? お前席一番後ろだろ?」
 出席番号やくじ引きなどに関係なく、その驚くべき座高の高さで、アキはいつも自動的に一番後ろの席にされていた。
「あ、あ、あの、よ、よくみ見えないからせん、先生の言葉を書いてる。」
「先生の?」
「せ先生が話す言葉。」
「なんだよそれ!」
「意味ねーよ!」
 俺たちはアキにノートを持ってこさせ、みんなで笑った。アキの汚い字は、誰も読むことが出来なかったからだ(何故か、俺だけは読むことが出来た)。
「読めねーよ!」
「こえぇ!」
 俺たちが笑うと、アキは不思議そうな顔をした。どうして笑われているのか、分からなかったのだろう。それでも1学期が終わる頃には、アキは学年中の男子の人気者になっていた。廊下を歩いていると声をかけられ、乱暴な愛情表現しか出来ない奴には、ケツを思い切り蹴られていた。
「アキ、ものまねやってくれよ!」
 アキはみんなに「アキ」と呼んでもらうことに成功していた。そして、マケライネンになる、と宣言していることも知れ渡らせた。
 みんな、もちろんマケライネンのことなんて知らなかった。だからアキがそっくりそのままマケライネンの歩き方(肩を下げ、左足を少しひきずる)をしても、
「だから誰なんだよ!」
 そう叫んで笑っていた。
「正解を知らねぇから!」
「似てるかどうか分かんねんだよ!」
 正解を知っているのは、ずっと俺だけだった。俺から言わせるとアキのそれは、完全に「正解」だった。制服を脱いで髪を白く染めれば、本当にマケライネンそのものだった。たった数ヶ月の間で、アキはますますマケライネン化していた。
 でももちろん、みんなそんなこと、どうでも良かった。まったく知らないフィンランドの俳優に似ている、だからそいつになると宣言している変な奴。それだけで笑うには十分だった。
 アキは、ひひひひ、と口を横に広げる、妖怪ようかいみたいな笑い方をした。決して大笑いはしなかったが、嬉しいのは分かった。まるで犬だ。誰にでもなつく犬みたいに、アキはみんなに尻尾しっぽを振った。
『男たちの朝』は、アキにあげた。父が部屋にある作品をすべて把握しているとはとても思えなかったし、俺も今後『男たちの朝』を観返すことはないだろうと思ったからだ(そしてその予想は当たらなかった。俺は後年、ある理由から、何度もそれを観直すことになる)。
 ビデオを手渡すと、アキは「信じられない」という顔をした。神様に会ったみたいな顔で俺を見て、何度も何度も頭を下げた。
「あ、あ、ありがとう。本当にありがとう。あありがとう。ありがとう。」
 人にここまで感謝されて、正直悪い気はしなかった。ただ、アキのそれは常軌を逸していた。まるで俺が、沈没船から離れるボートの最後の1席を、アキに譲ったみたいだった。
「ほ、ほ、本当にありがとう。ぜ、ぜ、絶対にわ、忘れないよ、ほほ、ほ、本当にありがとう。ありがとう、あ、ありがとう。ありがとう。」 
 アキの中で俺は、ほとんど「命の恩人」と同等の扱いになった。それはつまり、「自分の命をかけてでも守る人」ということだった。