おばあさんは、ぼくがちいさいときにしんでしまった。
かんおけにはいっているおばあさんは、まっしろなゆきの、みたいだった。とけるようでこわかった。おばあさんが(不明)、ゆきだるまをつくった。それはほぞんされたけど、おばあさんはいません。
おとなのひとがたくさんきた。それぞれのひとのことをしらなかった。おかあさんはずっとないた。おそうしきにはさんかしなかった。おくのへやで、ずっとねた。ぼくがへやにはいると、おかあさんはなにもいわなかった。ぼくがおかあさんをなぐさめよう。でも、ぼくはできなかった。ずっと、どあのよこにたって、おかあさんのなきごえをきいた。
アキと母親は、アキが2歳の終わり頃に東京に戻って来た。
アキは祖母の家が好きだった。すきま風が入って寒かったし、娯楽になるようなものはなかったが、家のどこかには未知の生き物の気配がして、荒れ放題の庭には、時々野生の狸やテンが現れた。
アキは、野生動物たちの強さが好きだった。春先に産まれた、目を見張るほど小さくか弱い赤ん坊も、次の春が来る頃には1匹で近所を徘徊し、獲物の血で口の周りを赤くするようになる。母親からも仲間からも独立して生きる姿は眩しかった。
アキは臆病だった。いつも何かに怯え、大きな音がすると泣いた。数少ない集落の子供たちの乱暴な遊びには参加出来ず、ひとりで遊んだ。体の大きさが幸いして、身体的ないじめを受けることはなかったが、アキはおおむねその存在を黙殺されていた。きっと子供たちも、得体の知れないアキとどう接していいのか分からなかったのだ。
アキの最大の友は、雪だった。
アキは庭に、自分と同じくらいの大きさの雪だるまを作り、雪の家を作り、雪の城を作った。雪は周囲を完璧な静寂で満たした。アキは、自分の体を雪と同化させようとした。自分の輪郭をなくし、徹底的に雪に交わり、雪そのものになろうとした。いつか雪と同化した自分、優しい雪になった自分の上を、動物たちが歩いてくれないだろうか。彼等の口から滴る血は、自分の白い体を赤く染めるだろう。アキはそのときを夢見た。
東京でふたりが住んだのは、1Kのアパートだった。
祖母の家とは、あまりにも違った。庭などなかったし、野生動物はおらず、雪は降らなかった(降っても、それはわずかで、道路の端で醜く解けてゆくだけだった)。家の近くにはたくさんの人がいて、話し声がしているのに、何故か生きている気配がしなかった。いつか見た鮭の卵、どろりとこぼれたあの命と、真逆の世界がここにはあった。
目の届く範囲には、必ず母親がいた。アキと彼女を隔てる壁も扉も、ここにはなかった。それだけは喜ばしいことのはずなのに、アキはその状況に戸惑った。母親がこんなにも近くにいるのに、聞こえるのは孤独の音ばかりだ。
元々母親は、強い人ではなかった。祖母や、祖母の家に出入りしていた女たち、地面に太い根を張って生きていたようなあの女たちと、彼女は明らかに違った。何かにつけ部屋にこもり、数日そこから出てこないときもあった。部屋の前で耳を澄ますと、中からは大抵、母親のすすり泣く声が聞こえた。祖母や女たちは、そんなときアキの手を引き、「ひとりにしてあげなさい」と言った。
「お母さんはびょうきなんだよ。」
何の病気なのか、アキには分からなかった。でも、
「心を病んでしまった。」
誰かがそう言うのを聞いた。
「都会でおかしくなったんだ。」
「あいつのせいで。」