「このまま死ぬかもしれない」作家・西加奈子が人生の辛い場面で小説を信頼する理由

「新潮クレスト・ブックス」25周年記念特集

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カナダでがんになり、海外でのままならない闘病生活や絶望一歩手前にまで追い詰められた想いを『くもをさがす』(河出書房新社)に綴った作家・西加奈子さん。
がんを宣告されて「このまま死んでしまうかもしれない」、「怖い」と思ったとき、西さんに「生きていける」と思わせたのは小説だったといいます。拘束力も命令する力もなく、ただ誰かに選ばれるのを待っている一冊の本に過ぎない小説を読むことの意味とは。
西さんに衝撃を与えた海外文学レーベル「新潮クレスト・ブックス」との出会いをはじめとして、読書への思いを語っていただきました。
※本記事は「新潮クレスト・ブックス2023-2024」小冊子に掲載された際のインタビューを再編集したものです。

“どんな宗教、人種でも人間であることに変わりはない”に心を掴まれた

停電の夜に

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 ―まずは西さんと新潮クレスト・ブックスとの出会いについて教えていただけますか。

 私は17歳の時にトニ・モリスンの『青い眼がほしい』(早川書房)を読んで強い感銘を受けて、それ以来、海外文学の棚によく行くようになっていたんです。それで、確か「来たるべき作家たち」(1998年刊)というムック本でクレスト・ブックスが創刊することを知ったんだと思います。最初に読んだのは、ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』(2001年刊)で、とても衝撃を受けました。今は中公文庫に入っていて、その解説を書くときに再読しましたが、衝撃が薄れていなくて。作家になる前の20代の自分も、年齢を重ねた今の自分も夢中にさせてくれる小説で、本国ではもうすでに古典であると言われているそうです。本が出た当時はまだ9・11も起きておらず、宗教や人種の違いによる分断を今ほどは意識せずに済んだ時代でしたが、イスラムでもキリストでも仏陀でも、どんな宗教、人種であっても人間であることに変わりはないという著者のスタンスに心を掴まれました。
 次に夢中になったのは、ジュンパ・ラヒリでしたね。『停電の夜に』(2000年刊)を読んで、それ以降の作品はすべて読んでいます。とりわけ、『その名にちなんで』(2004年刊)、『低地』(2014年刊)は素晴らしく、私の中でクレスト・ブックスへの絶対的な信頼感が生まれたのもラヒリのおかげです。
 彼女はカルカッタ出身の親世代と、アメリカで育った世代との違いをベースに描いていて、それは移民ならではという面もありますが、考えてみれば私たち日本人にだって世代間のギャップはあるじゃないですか。よく翻訳小説が好きというと、「日本とは違う遠い世界を知ることができるからですか」と訊かれますが、もちろんそういう面もありますけど、ベンガル出身の登場人物の中に、自分と同じ感情を見ることがある。私はそこに希望を感じるんです。スミスのように、ラヒリの筆にも静かなユーモアがあるので、悲劇も残酷なことも、人間の愚かさとして、とても身近に感じられる。

 ―ジュンパ・ラヒリ は世界中の古典文学をすごく勉強されていて、文学的な土壌が豊かで、翻訳がいかに大切かを常に語っていますよね。

 彼女はロンドン生まれ、アメリカ育ちで、ずっと英語で教育されてきたんですよね。海外の本を読むことがすごく大きな経験だったんだろうなと想像します。でも少し前までのアメリカでは一般的にはあまり海外文学を読む習慣がなかったと聞きました。ナイジェリア出身の作家アディーチェは、大学留学で渡米したときにクラスメイトに「ナイジェリアの小説を読んだけど、夫が妻にDVする話で、とても残念な国なのね」ということを言われたそうなんですね。でも彼女は茶目っ気たっぷりに「私は『アメリカン・サイコ』を読んだけど、アメリカ人が全員サイコパスとは思わなかったわ」と返したそうです。一冊の本がその国の文化を代表できるわけもなく、私もいろんな国の翻訳小説をもっともっとたくさん読みたいと思います。