第一回 ①

ムーンリバー

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イラスト 寺田マユミ
イラスト 寺田マユミ

その人が死ぬまで一緒にいたい、という感情は恋なんだろうか

愛した人がいなくなっても、ここにいたいと思う感情は何かな

阿賀野あがのすず 四十歳 文芸編集部 編集

 メール着信。
 すぐに開く。
「来た」
 杉原すぎはらさんの連載初回の原稿。
(締切りは昨日ですけどねー)
 メールにちゃんと〈遅くなってすみません〉と書いてある。
 でも、杉原さんぐらいの中堅の作家さんになると、こっちが締切りを予め早めに設定しているのをわかっていて、一日や二日ぐらい、下手したら三日でも全然大丈夫って思ってるんだよね。
 でも、締切りは、締切り。
 その日に届いてくれれば、しかもできれば就業時間内に届いてくれればすべての作業が何もかもスムーズに動いていくのだ。皆が幸せになるスケジュールが〈締切り〉というものなんですよ。
 でもまぁこれはウェブ連載だから。
 紙の媒体じゃないだけ、余裕があると言えば確かにあるんだ。何せ印刷しないで済むんだから。製本しないんだから。データとして存在してさえくれればそれをアップするだけだから。その作業の単純化だけを考えるなら、ウェブ媒体はなんて素晴らしいんだろうって思ってしまう。
 それでも、編集と校閲作業は紙の媒体と同じだけある。だから、締切りもきちんと守っていただきたい。
 お互いに、できるだけ努力し合って。
 出産で産休と育休を取っている間に、うちの会社でも紙の文芸誌の半分はなくなって、ウェブ媒体になってしまっていた。それまでももちろんあったけど、どんどん進化している。
 進化なのか? って疑問に思うことも、ある。
 けど、進化してるんだろうな、って思わないとやっていけない。素晴らしい物語の原稿がそこにある、それはまるで変わっていないんだから。
 そもそも、私が新人編集者の頃には、まだパソコンのメールさえまともに扱えない先輩編集者もいた。メールの文面が文字化けしてしまってどうしたらいいのかわからず、原稿が読めないと怒っていた人も。更に更に上の上司の方たちには、パソコンすらまともに扱えない人も、いた。
 私はギリギリほぼDTPの時代に滑り込んだ年代だけど、実は憧れていた。
 万年筆で升目の原稿用紙に書かれた玉稿を直接作家から受け取り、その原稿用紙の手触りやインクの匂いに包まれていちばん最初の読者になるのを。読めない癖字を解読して、あの先生の原稿はあいつにしか読めないから全部訊いてこい、なんて言われる編集者になることを。
 でも、編集者になって十八年。そんな万年筆で書かれた生原稿を受け取り本にできたことが数えるほどしかなかったのが、少し残念。
 今受け取るのは、Wordやテキストで書かれたデータの原稿が多い。あるいはそこからプリントアウトされたコピー用紙の原稿。
 もちろん、それでも玉稿は玉稿なんだけれども。
 そして今のこの時代、手書きで原稿を書いているのはほぼとんでもない大御所か、あるいはとってもめんどくさい作家さんしかいなかったりするので、強いて受け取りたくはないかなって思わないことも、ない。
 杉原さんのWord原稿を開く。
(これなー)
 杉原さんの原稿のWordの設定は、いつも行間が広すぎる。字間もちょっと空きすぎ。
 本人が画面を見ながら書くのにこれに慣れているんだろうけれども、このままWordでプリントアウトして回さなきゃならないときには、こっちでレイアウト設定を変更して調整しなきゃならない。まぁそれも一瞬で終わるし、最終的にはテキストデータにしちゃって取り込むからいいんだけど。
 作家さんに書式設定まで指定するのは、ちょっとってなる。新人さんなら、こうした方がいいですよって気軽に率直に言えるんだけれど、中堅やベテランになると自分のスタイルというものを持っていて、気を悪くする人もいるだろうから、言えない。
 歌は世につれ、じゃないけれども、原稿も世につれ、だ。