【試し読み②】『逃げても、逃げてもシェイクスピア』戯曲翻訳の世界へ

『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』刊行記念特集

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 完訳を成し遂げた翻訳家の仕事と人生はこんなにも密接につながっていた。
 ソ連に11年抑留された父、女手一つで子供達を守り育てた母。自身の進学、結婚、子育て、介護、そして大切な人達との別れ―人生の経験すべてが、古典の一言一言に血を通わせていった。
 シェイクスピア全戯曲37作を完訳し、82歳となった現在も最前線で活躍する翻訳家・松岡和子さんが、最初は苦手だったシェイクスピアのこと、蜷川幸雄らとの交流、一語へのこだわりを巡る役者との交感まですべてを明かす宝物のような一冊。
『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(草生亜紀子著、新潮社刊)から、松岡さんが40年以上前にジェンダーレスの潮流を予感していたことが分かるエピソードを試し読み公開します。

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逃げても、逃げてもシェイクスピア

逃げても、逃げてもシェイクスピア

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『クラウド9』の説明に入る前に、和子を舞台の世界に誘ったもうひとつの運命の糸の話をしておきたい。和子が戯曲を翻訳し始めるきっかけをもたらしたのは、腹違いの兄・淳一郎のいとこだった。額田やえ子。劇作家で小説家の額田六福ろっぷくの娘として生まれ、映画雑誌の編集部を経て、テレビ映画の字幕や吹き替えの翻訳を始めたパイオニアだ。「刑事コロンボ」の「my wife」に「うちのかみさん」という名訳をあてた人である。
 額田が訳したレジナルド・ローズの『十二人の怒れる男』やウィリアム・ギブソンの『奇跡の人』といった戯曲を出版していた劇書房は、もっと翻訳を依頼したかったのだが、額田は「刑事コロンボ」だけでなく「逃亡者」「刑事コジャック」「コンバット!」といった当時の大ヒット海外ドラマの吹き替え脚本を担当しており、それ以上の仕事を受ける余裕がなかった。そこで、額田が劇書房に紹介したのが和子だった。「私には隠し球がある」と言って。
 残念なことに劇書房はもはや存在していないが、演出家でありプロデューサーである笹部博司が戯曲を専門とする出版社として一九七七年に創立し、当時、英米の新しい戯曲を見つけてきては翻訳・出版し、さらにそれを自社でプロデュースして舞台にかけるという活動を行なっていた。
 英語の力があり、大学・大学院で戯曲を学び、舞台が大好きな和子は劇書房にとって得難い翻訳者であったに違いない。和子は次々と戯曲の翻訳を手がけた。戯曲を訳すのは、頭の中で原作を日本語にして演じるようなものだった。それはかつて演出の仕事にあこがれた和子にとって心躍る作業だった。
 おもしろいことに、この時期に和子が手がけた現代戯曲の中には、『ハムレット』の端役が主人公になる『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』、シェイクスピア俳優の一人芝居『エドマンド・キーン』、『リア王』の舞台裏で進行する『ドレッサー』など、シェイクスピアに題材を取った作品がいくつもあった。結果として、部分的ながらシェイクスピアの戯曲を翻訳することになった。和子はよく「シェイクスピアから逃げても逃げても捕まる」という言い方をするが、こんな風に、行く先にはいつもシェイクスピアがいた。
 この時期、子育てをしながら初級英語のクラスを受け持っていた母校・東京女子大で、恩師のコールグローヴ教授から「シェイクスピアの授業をやらないか」と声をかけられた。当然、和子は尻込みする。難しくて、とても自分にはできないと。すると、コールグローヴは言った。「難しく考えなくていい。シェイクスピアをPRすればいいんだよ」。広報活動ならできるかもしれない。和子は素直にそう思うことができた。訳すことも語ることも、すべてはシェイクスピアのおもしろさを知ってもらうための広報活動。その言葉は、この先もずっと和子を支えていくことになる。
 話を『クラウド9』に戻そう。和子が長い翻訳家人生の中で唯一、自分から訳したいと手を挙げるほど惚れ込んだ作品とは、どのようなものだったか。イギリスの劇作家キャリル・チャーチルが書き一九七九年に初演されたこの作品は、一九八一年にニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演され、批評家たちの絶賛を浴びた。和子が観たのもこの時の舞台だった。どんな物語なのか、和子自身が戯曲につけた訳者「あとがき」を引用する。

松岡和子さん(写真・井上佐由紀)
松岡和子さん(写真・井上佐由紀)

〈マカ不思議な芝居である。
 第一幕は一八八〇年ごろのアフリカ、第二幕はそれから百年後のロンドンだというのに、登場人物は二十五歳しか年を取っていない。この二重になった時間のへだたりといい、男性が女役をやり、女性が男役をやり、人形が赤ちゃん役をやり(?)、大人の男が少女役をやるといったごちゃまぜの配役といい、頭も目もこんがらがってしまいそうだ。おまけに夫婦各々の姦通及び姦通もどき、少年愛、ホモセクシュアルやレズビアンなどの「関係」がからみ合って、ますますこの劇世界はややこしくなる。一見バカバカしいドタバタ調、これだけ複雑で錯綜した仕掛けをほどこしておきながら、しかし、作者キャリル・チャーチルがこの芝居にこめたメッセージは、実は意外なほど明快で真面目なものだ。
「らしさ」という厄介なしろものがある。女らしさ、男らしさ、子供らしさ、父親らしさ、学生らしさ…例をあげればきりがない。これがなぜ厄介かと言えば、一方で、こうした「らしさ」をまとっている限り、大した面倒も起さずに日々楽に生きてゆけるという反面、ひとたびある「らしさ」が自分にはどうしても合わないとなると、これほど窮屈で息の詰まるものもないからだ。また、場合によってはいくら窮屈でも我慢して身につけていれば、逆に体の方がそのお仕着せに合ってくるということもあるので、厄介さは倍加する。(中略)
 ちなみに「クラウド9」という言いまわしは、もともとはアメリカ合衆国の気象庁が用いた気象用語である。雲の形状は九つのタイプに分類され、NO9は、真夏の抜けるような青空に地上三万フィートから四万フィートの高さに浮かぶ積乱雲(入道雲)を指す。ここから転じて、幸福感に満ちた高揚した気持、文字どおり「ハイ」な気分や感覚を意味するようになった。
 そう、誰もが「クラウド9」の状態を求めている。だがそうおいそれと簡単にはゆかない。「らしさ」をまとっていても、脱ぎ捨てても──。脱いだままでは寒いし、第一心細くてたまらない。だから何か着なくてはならないのだ。かといって、いったん脱ぎ捨てたものをもう一度まとう気にはもうなれない。もっとも、時折ふと、その方が楽だったかなあと溜息のひとつも出るのだが──。
 自分に似合う「らしさ」をさがし求めながら行き暮れている「私たち」を描くキャリル・チャーチルの目は、批評性に富み冷静だけれど、限りない共感がこめられている。〉
 性の話題満載で、男女入り乱れて役を演じる挑発的な芝居ながら、「らしさ」という枠組みとの葛藤という普遍的なテーマを扱っており、LGBTQ的物語の先駆とも言える作品だ。これを一九八五年に舞台化したのが「劇団青い鳥」(演出・木野花)だった。このころ女性演出家の台頭めざましく、和子は快哉を叫んでいた。
 一九八二年四月の『美術手帖』には、青い鳥の木野花、NOISEの如月小春、3○○さんじゅうまるの渡辺えり子(現・渡辺えり)の座談会が掲載されている。司会に呼ばれたのは和子だった。かつて自分がやりたかった演出家の仕事。そこで才能を発揮する女性たちが、和子は眩しくて仕方なかった。自分と娘の世代の間にこういう頼もしい女性が現れた。この座談会の後、和子はうれしくて、興奮を冷ますために新宿の街を歩き回った。

(「第四章 劇評・翻訳」より一部抜粋)
このつづきは、発売中の『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(草生亜紀子著、新潮社刊)でお楽しみください!

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