現金3400万を残して孤独死した女性、震災で亡くなったフィリピン人…“名もなき人”の足跡を取材した現役記者が語る

「一気読み必至」「涙腺崩壊」心を震わすノンフィクション文学の最前線――三浦英之×武田惇志対談

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世間には大きく報道されることのない事件や事故がある。
震災など被害が大きくなればなるほど埋もれてしまう声もあることも事実だ。
さらに被害にあった方や亡くなった方の一人ひとりの人生にまで踏み込んだ記事はそう多くはない。
そうした“名もなき人”に焦点を当てたノンフィクションがある。

一つは朝日新聞の記者でルポライターの三浦英之さんが、東日本大震災で亡くなった外国人の足跡を追った『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)。
もう一つは共同通信の記者・武田惇志さんと伊藤亜衣さんが、身元不明で遺体の引き取り手もない死者の半生を追った『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)だ。

身近な人の胸にしまわれたままの想いや、噂話でたち消えていく人物に迫った現役の記者二人が、取材のきっかけやハードルの高さ、そしてノンフィクションに込めた想いなどを語り合った。

「取材過程」を見せるノンフィクション

涙にも国籍はあるのでしょうか:津波で亡くなった外国人をたどって

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三浦 新聞記事の場合は大抵、「最終的にこういう結論がありました。これがその理由です」というような構成で文章を作ります。つまり、まず結論が最初に来て、あとはエッセンスを連ねていく。それに対して、僕が書籍でノンフィクションを書く際には、「ファクト・ファインディング」(事実を発見していく過程)を見せることを大切にしています。
 武田さんが当時の同僚・伊藤亜衣さんと書かれた『ある行旅死亡人の物語』も、読んでいて結論に辿りつくまでの過程を忠実に見せているなと感じました。取材する中で武田さんたちががっかりしたり面白いなと思ったり、そういった感情も織り込んだ過程の見せ方が非常に上手な作品ですね。展開の先も読めなくて、ノンフィクションとしても本当に面白い。
 もう1つは、武田さんがやっていらっしゃるのは、「名もなき人」に光を与えることだと感じました。この本はタイトルが『ある行旅死亡人の物語』ですが、まさにその通りですよね。田中角栄や美空ひばりといった誰もが知っている著名人ではなく、全く無名の「ある人」について掘り下げていく。すると、どんな人にも歴史的背景があり、人生という物語がある。その物語から最終的に時代が見えてくる。僕自身、そういったことを描きたいといつも思っているので、今回はぜひ、武田さんにお会いしたいと思っていました。

三浦英之氏
三浦英之氏

武田  ありがとうございます。僕が三浦さんの作品に出会ったのは、以前、戦争取材を始めようとした際に、会社でデスクが「面白い本だよ」と三浦さんのデビュー作『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』を貸してくれたことでした。正直、僕はノンフィクションのいい読者じゃないといいますか、仕事での取材が殺伐としているので、プライベートではフィクションばかり読むタイプなんです。今回の対談のために、三浦さんの書かれた過去作も改めて読んできました。

三浦 フィクションだと、どういうのを読まれるんですか。

武田 幼い頃からミステリーを読んでいました。あと、大学が英文科だったので、アメリカのポストモダンの作家ポール・オースターがとても好きです。彼の作品は、話が回収されずに終わったりするんですよね。自分の執筆は、オースターから大きな影響を受けていると思います。

三浦 『涙にも国籍はあるのでしょうか』を読まれて、どうでしたか?

武田 僕は東日本大震災の頃、西日本に住む学生でした。被災地に対して「何もできなかった」という負い目を当時持っていました。記者になってからも、横浜支局、徳島支局、そして大阪社会部と渡り歩き、東北とは残念ながらそこまで縁がなく、ちょっと後ろめたい気持ちを抱いていたんです。そういう思いを持ちながら『涙にも国籍はあるのでしょうか』を読み始めました。序章で、津波で亡くなったアメリカ人女性、テイラー・アンダーソンさんの身元確認のために来日した父・アンディーさんに成田から石巻まで同行した随行員の話があり、それが最後に伏線のように繋がっていくところなど、すごく小説的で、普段ノンフィクションをあまり読まない読者としても、引き込まれました。ちょっと小説の短編集に近い感じがありますよね。特に心に残ったのは、南三陸町で亡くなったフィリピン人女性の話です。彼女の知り合いに三浦さんが「彼女についての新聞記事に添える写真を貸してほしい」と頼んだところ、手元に女性の写真は1枚も残っていないと言われる。取材対象者の輪郭を追い求めても手から滑り落ちていく感じが、『ある行旅死亡人の物語』で、ひとりの女性の人生を追って取材した時に抱いた感覚を思い出させました

三浦 今はどんどんメディア企業の経営が厳しくなって、記者の数が減っていますよね。その中で、東京本社の厚生労働省や警察庁などの担当に配属されると、ひとりひとりに膨大な仕事が割り振られ、レクに会見取材に…とルーティンをこなすだけでみんな良くも悪くも必死になってしまう。でも武田さんは喫茶店でコーヒーを飲みながら「行旅死亡人データベース」というサイトを見て、『ある行旅死亡人の物語』の主人公となる女性について知る。今のメディアの状況からすると、なかなか稀有なテーマとの出会い方だと思います。大阪社会部だからこそでしょうか?

武田 当時は、裁判担当から持ち場を持たず自分でネタを探す遊軍記者になって2ヶ月くらい経った頃でした。三浦さんがおっしゃる通り自動的に色々なネタが降ってくる環境から、そうじゃないところに解き放たれて、若かったこともあり「どうしようかな」と戸惑いを感じていました。僕はパパッと動けない人間で、ちょっと考えてしまう。それで、もともと関心があった行旅死亡人についてチェックをしていたら、3400万円という高額なお金を持ちながら、身元不明で亡くなっている人がいる、その事実に興味を持ったわけです。

三浦 それでどんどん取材していき、武田さんが感じる「驚き」が物語を進めていく。一番驚きを感じたのは、どういう所でしたか。

武田 やっぱり、最初に弁護士の方から見せてもらった写真が、とても心に残ったんです。女性自身の写真と、彼女が大切にしていた、大きな犬のぬいぐるみの写真。「もしかしたら、調べたら、手を伸ばせば届くんじゃないか」というリアルな感じがありました。

三浦 この本って入口と出口が全然違うじゃないですか。最初の入口は「3400万円のお金が残っていました」というところ。その情報だけだったらお金持ちのお子さんが亡くなったのかなとか、犯罪絡みかなとか、そういう想像・仮説が立つと思うんです。そこから、舞台も兵庫から広島に移っていき、日本の近現代の歴史も関わってきて…。書籍で一番大事なのはクライマックスだと僕は考えています。「いいものを読んだな」という読後感が残る本が一番いい。『ある行旅死亡人の物語』には、まさにそんな読後感を持ちました。また、事実をもとにして、結論が見えない物語を書く、これがいかに難しいことかも痛感しました。今、多くのノンフィクションは、「多分こういう話だろうな」と思うところへ結論が落ち着いていくんですよね。それに対して、『ある行旅死亡人の物語』は全く結末が見えない。

2つの旅を作品に込める

ある行旅死亡人の物語

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武田 ありがとうございます。『涙にも国籍はあるのでしょうか』についても、震災で亡くなった外国人の方について、実際どれぐらいの確度で身元に辿りつけるのかっていうハードルがありましたよね。

三浦 取材対象者の住所、連絡先が分からないのは記者にとっては致命的ですよね。事件や取材対象者の近所を回って取材することを「地取り」といいますが、東北の被災地の場合、そもそも津波で流されて集落が残ってないから地取りができない。当時の町内会長や行政区長に取材に行っても、「住んでたかもしれないけど、わかんねぇな」っていう回答がほとんどでした。
 今年の能登半島の地震や阪神淡路大震災と比べて、東日本大震災の大きな特徴は「遺体がない」ということなんです。遺体があれば、この人が誰なのか警察は突き止めないといけない。それで被害者数がわかる。遺体がないと、そもそも捜査が始まらない。外国人の方の場合、届け出もない人もいる。なので、外国人の死亡者数が日本では制度からすっぽりと落ちてしまっていたんですね。行政を取材しても「外国人の方が何人流されているか、わからないんですよね…」って言われる。いやいや、それでいいのかって、そういう疑問も出てくるわけです。
 別の問題もあります。本にも少し書いたのですが、たとえば在日韓国・朝鮮籍の方は普段は通称名を使っていて、韓国や朝鮮籍での名前による取材はお断りしたいっていう方もいらっしゃる。そうでなくても、被災地では、震災報道についてはもうそっとしておいてほしいという人や、報道に対するジレンマというか嫌悪感を抱いている人もいる。それは事件や事故の遺族取材と同じですよね。もちろん、ずっと現地で取材を続け、しっかりと信頼関係を築いているメディアの方もいますけれど、ほとんどの記者は311日に悲しそうな顔をしてわーっと現地に押し寄せ、次の日には去っていく。被災地の人はそれをこの13年間ずっと見させられているわけですから。

武田 被災地の取材は年々難しくなっていますか?

武田惇志氏
武田惇志氏

三浦 そうですね。震災報道は発生から10年が大きな1つの区切りだったと思っています。国による復興事業は多くが10年と定められていましたし、 それが一段落したときに、メディアの関心もすーっと落ちました。これも本に書いたんですけど、そのくらい時間が経つと、やはり通常の震災関係の記事はどうしても読まれなくなってくるんですね。その中で、どういうふうにして震災の記憶を繋いでいくか。日本には必ず地震や津波が来る。記憶を繋ぐことによって、次にどこかで震災が起きたときに1人でも犠牲者を減らしたいんです。そのためには、何か新しい切り口を提示しないといけない。この本の場合は「日本はまだ津波で亡くなった外国人の数を把握していない」ことを問題意識として持って取材をしていく中で、それぞれの外国人犠牲者にまつわる物語が見えてくる。物語とは、すなわちその方の人生の軌跡です。津波で犠牲になったフィリピンの方にも中国の方にもそれぞれ人生があって、さらに彼らには、日本人犠牲者にはない、「なぜ日本に来たのか」というストーリーも加わってくる。そうすると、今までの震災報道とはちょっとテイストが変わってきますよね。

武田 東日本大震災で外国人の方が亡くなっていたことは想像できて当然だったわけですが、それが自分の中でどれだけ意識に上ったか。なので、そういった気づきも得られました。また、本を読み進めていくと、三浦さんご自身の人生が開示される部分もありますよね。パキスタン人青年について取材するため、聞き込みに行った南インド料理店で食事をしながら、21歳の時に旅行したインドのことを三浦さんが思い出すシーンがあって、すごく印象的でした。取材の過程で自分自身が相手に触発されていく感じや、自身について見つめることはあるんでしょうか。

三浦 南インド料理の味が自分の過去の世界一周の旅先で受けたホスピタリティーを思い出させ、そこから、メディアもゼノフォビア(外国人嫌い)に加担してきたのではと思いを巡らせたシーンですね。震災で亡くなったアメリカ人女性については大きく報道するのに、フィリピン人やパキスタン人についても、同じくらい報道したのか、と…。そうした事実を発見すると、糾弾は自分に返ってくるわけじゃないですか。「お前だってそうだったじゃないか」って。それに気づいて、ようやく見えてくるものがある。
 僕はノンフィクションには2種類のタイプがあると思っています。1つは物事を調べて客観的に書く、記録的・伝記的なものですね。もう1つは自分が体験したことを、つまり見たり聞いたりして感じたことを含めて、事実を主観的に判断して書くもの。僕はどちらかというと、おそらく後者のタイプです。その中に、さらに「2つの旅」を積極的に入れていく。1つは「物理的な旅」。つまり、自分が物理的に移動して取材をすることで、先ほど述べたような事実を発掘していく「ファクト・ファインディング」の過程を見せていく。これは記者的な仕事だと思います。もう1つの旅は「内面の旅」。事実を知ったことによって自分がどう変わっていくのか、その内面の変化を見せる。この2つの旅がうまくリンクすると、作品の構成が重層的になります。武田さんの『ある行旅死亡人の物語』でも、そういった変化はあったのではないでしょうか?

武田 やっぱり自分自身を見つめましたね。それが一番の収穫でした。いつか人は死ぬ、自分も死ぬってことを意識させられました。『ある行旅死亡人の物語』の取材より前も色々な事件事故の取材をしてきましたが、ひとりの人の死をこんなに見つめ続けた時間はなかった。読者の方の反応を見ても、僕と近い感情を持ってくださっている方が多いようです。本の主人公である田中千津子さんの存在を通して、自分が有限な存在だと感じるのかなと。そういうふうに届けられたのが、嬉しいですね。

三浦 僕も震災の翌日に被災地に飛び込んだときに、多くの遺体を見たんですよね。胸が痛むと同時に、人は簡単に死ぬんだなといやがおうにも理解しました。「80歳まで生きるから」などと思ったり、やりたいことを先延ばしにしたりせずに、今できることや今やりたいことを優先して、悔いの残らないように生きていかなければいけないと思いましたね。

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武田 惇志(たけだ・あつし)…1990年、名古屋市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。2015年、共同通信社に入社。横浜支局、徳島支局を経て2018年より大阪社会部。ウェブ配信後たちまち1200万PVを獲得し、話題となった記事を書籍化した『ある行旅死亡人の物語』(伊藤亜衣さんとの共著)を2022年11月に刊行。

三浦 英之(みうら・ひでゆき)…1974年、神奈川県生まれ。朝日新聞記者、ルポライター。著書に『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(第13回開高健ノンフィクション賞)、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』(第22回新潮ドキュメント賞、第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞)など。現在、岩手県盛岡市在住。