翻訳の過程で起きたドラマのような出来事――『フェルマーの最終定理』日本語版誕生秘話

サイエンス翻訳の名手、青木薫特集

更新

世界的な人気を誇るサイエンス・ライター、サイモン・シンの邦訳著作は、なんと累計120万部を超える。数学の天才たちの人間ドラマを追う過程で数学の真髄を伝えるノンフィクションの名作『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)は、いまも、ロングセラーの記録を伸ばしている。サイエンス翻訳の名手として知られ、サイモン・シンの全著作を手掛ける翻訳家、青木薫さんが、『フェルマーの最終定理』訳出の舞台裏を振り返る。翻訳の過程で起きたドラマのような出来事、その時、あの著名な数学者はなんと言ったのか―。(本文・青木薫)

※※※

 

「数学を伝える」ために、翻訳者として日頃努力していることを書いてほしいというお申し入れがあった。しかし、あらためて考えてみると、数学を伝えるために翻訳者にできることは、ごくごく限られているように思う。訳語を工夫するといっても限度があるし、妙に砕けた言いまわしは、かえって内容を伝えにくくする面もあると私は感じている。翻訳者にできるのは、煎じ詰めれば、「内容を理解して」訳すことぐらいなのかもしれない―しかしそれは、口で言うほど楽ではないのだが。
 とはいえ、翻訳者として長年ポピュラーサイエンス出版の現場にいれば、原著者たちが「数学を(あるいは科学を)伝える」ために、どんな努力をしているかを感じ取れることもある。私がこれまで経験したなかで、とくに忘れ難いのは、なんといってもサイモン・シンの『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)である。この本を翻訳していたとき、私はサイモン・シンと志村五郎先生のあいだに挟まって、窮地に立たされたのだ。

読者を「わかった気にさせる」ということ

こちらが青木薫さんの最新翻訳作品。アメリカの話題作で日本でも高評価だ。
こちらが青木薫さんの最新翻訳作品。アメリカの話題作で日本でも高評価だ。

 ことの起こりは、志村先生に少々お尋ねしたいことができて、プリンストンにいらした先生に質問の手紙をさしあげたことだった。(なお、「谷山―志村予想」といわれる数学の予想は、それさえ証明できればフェルマーの最終定理は自動的に証明されたことになるという大定理だ。)するとすぐに志村先生からメールで返事が来て、「あなたの質問に答えるのは簡単です。しかしその前に、あなたにやってもらいたいことがあります」とあり、『フェルマーの最終定理』のなかのいくつかの部分(十箇所ぐらいだったか)について、英語で代案が示され、原文をこれに置き換えてほしいというのだった。志村先生の代案のなかには、かなり長い文章もあった。私はうろたえた。
 しかし、とりあえず「サイモン・シンの原文」と「志村先生の案」を大きめの紙に並べて書き出してみた。そして各項をじっくり比較してみて、私は「うーん」と頭を抱えてしまった。志村先生が置き換えてもらいたいとおっしゃったのは、すべてかなり高度に数学的な内容だった。志村先生は厳密さを求めていらして、先生の代案には、サイモン・シンの本のなかでは定義されていない専門用語も使われていた。
 こうなってはじめて身に染みてわかったのだが、サイモン・シンはこの本のなかで、未定義の用語はひとつも使っていなかった。また彼は、読者の頭に「?」が浮かびそうな部分を丹念に潰していた。その作業をやってこそ、読者は、どうにかわかった気になることができる。どうにかわかった気になって読めるから、内容を厳密に理解することなどできるはずもない最先端の数学のドラマに感動できるのだ。志村先生のご提案は、たしかに数学的には厳密かもしれないが、それをやってしまったのでは、読者は置いてけぼりをくらうだろう。
 しかし、志村先生とやり取りがあった以上、何もなかったかのようにスルーするわけにはいかなかった。でも、どうすれば? 追い詰められた私は、いちかばちか、サイモン・シンにメールを書いて、志村先生のことは伏せたまま、「かくかくしかじかの部分を、以下のように修正してはどうでしょうか…」とお伺いを立ててみた。するとシンからすぐに返事が来た。彼はすべてお見通しだった。「志村先生ですね? それは無視して、私が書いたとおりに訳してください」
「そりゃそうだよね…」と私は思った。サイモン・シンは、読者を置いてけぼりにしないために心血を注いでいるのだから。そこが、ポピュラーサイエンス・ライターとしての彼の勝負どころなのだろう。私はいよいよ苦境に追い込まれた。もう、この翻訳、できないかも…..…? そんな可能性まで視野の片隅に入りはじめた春のある日のこと、その年の夏に、志村先生が京都大学で特別集中講義をするために来日されることを知った。このチャンスを捉えるしかない。京都に行って、志村先生にお目にかかり、サイモン・シン擁護の立場から、先生に直談判するのだ。
 先生にアポイントを取って京都に向かったときの気持ちを思い出すと、今でも胃が痛くなる。しかし、志村先生は怖い方だと聞いていたけれど、実際にお目にかかった先生は、数学者ではない私に対しては優しかった。穏やかな口調で、静かに話を聞いてくださった。まず、数学のことや翻訳のことについて、すこしばかり他愛もないおしゃべりをした。この際だから、そのときのトピックをひとつだけご紹介しよう。
 私は先生に、「ヴェイユというのは、やはりすごい数学者だったのですか?」とお尋ねした。すると先生は、遠くを見るような目をなさって、「彼こそはまさしく、一等星です」と、ゆっくりはっきりおっしゃったのだ。そこで私は、「では、志村先生は、ご自身の目で見て、何等星ですか?」とお尋ねした。聞かずにはいられなかったのだ。すると先生は、かわいらしくテレ笑いをなさりながら、「二・五等星かな?」とおっしゃった。あの笑いが、「正直に言うよ?」という笑いだったのか、「ちょっと謙遜しておくね」という笑いだったのか、今はもう知るよしもない。
 さていよいよ本題だ。私は志村先生に、サイモン・シンは読者の頭に「?」が溜まっていかないようにするために心血を注いでいること、そしてそこがポピュラーサイエンス・ライターとしての彼の勝負どころなのだと思うと言った。すると先生は、「読者にわからないことがあったっていいじゃないですか」とおっしゃった。「教科書だって、わからないことが残っているぐらいのほうがいいんです」と。この瞬間、私は内心、「勝った!」と思った。だって、今は数学の専門的な教科書の話をしているのではないのだから。私は、「そうかもしれませんが、でも、私はこれまでフェルマーの最終定理とワイルズの仕事に関する本や記事はそれなりに読んできましたが、志村先生と谷山さんが何をなさったのかが一番わかった気になれて、感動したのは、サイモン・シンのこの本なんです」と言った。
 一瞬の沈黙があって、何かが志村先生に伝わった感じがした。数学者ではない、ある意味では読者のひとりにすぎない私が目の前にいることで、「ああそういうことか」と思われたのかもしれない。数学者ではない人間は、理解のギャップを自分で埋めることなんてできない。置いてけぼりをくらったら、戦線離脱するしかないのだ。ともかくも、先生は「わかりました」とおっしゃった。そしてその後、完成した日本語版をプリンストンにお送りしたときには、メールで「お疲れさまでした」とねぎらってくださった。

読者を信頼すること

紀伊國屋書店新宿本店3階人文コーナーにある「青木薫が選んだお勧め本」フェアコーナー
紀伊國屋書店新宿本店3階人文コーナーにある「青木薫が選んだお勧め本」フェアコーナー

 これまで私は何度も、読者を「わかった気にさせる」という言い方をしてきた。しかしこの言い方は、かなりミスリーディングだろう。まるで何かごまかしを働いて、読者を適当に言いくるめるだけのような印象を与えてしまうかもしれない。しかし、私が伝えたいのはそういうことではない。そこをわかっていただくために、一例として、やはりサイモン・シンの『暗号解読』(新潮文庫)から「エニグマ」のくだりを取り上げたい。
 ご存知の方も多いかもしれないが、「エニグマ」とは、第一次世界大戦後にドイツが開発した暗号機で、第二次世界大戦では、エニグマが生成する「無敵」の暗号が連合国側を苦しめた。文庫版『暗号解読』の上巻第Ⅳ章「エニグマの解読」では、戦時の緊迫した情勢のなか、エニグマの解読に懸命に取り組む暗号解読者たちの姿が描かれる。ドキドキハラハラしながら息を詰めて読んでしまうので、ときどき本を置いて深呼吸をしないと、酸欠になってしまいそうなぐらいだ。
 しかし、国の命運や多くの人命がかかったドラマからいったん距離を置いて、サイモン・シンが、エニグマという暗号機のメカニズムと、暗号解読者たちの思考のプロセスを読者に伝えるために何をやっているかという観点から文章をあらためて眺めなおしてみると、これは正真正銘の力技だということがわかってくる。膨大なリサーチを行い、書くことと書かないことを選り分ける。書くことにした内容は、文章や図に工夫を重ねてわかりやすくする。そのすべてのプロセスを手抜きせずがんばり抜けば、きっと読者に伝わる、いや伝えてみせるという気迫がすごいのだ。そして、「きっとわからせるから、ついて来て」というサイモン・シンの気迫に、「私は読者として信頼されている」と感じるのである。
 著者としての水面下の努力を垣間見させてくれる一文を引用してみたい。エニグマの暗号を初期に解読したポーランドの数学者マリヤン・レイェフスキの偉業について補足した文章である。

レイェフスキによるエニグマ攻略は、暗号解読の分野でなされた真に偉大な業績の一つである。私は彼の業績をわずか数ページにまとめ、専門的な細かい点は省き、彼が入り込んだ袋小路をいちいち書くことはしなかった。しかし、エニグマは複雑な暗号機であり、その解読にはとてつもない知力が必要だったのだ。ここでの紹介が手短だったからといって、読者は決してレイェフスキの偉業を過小評価したりしないでほしい。

「数ページにまとめ」たということは、逆に言うと、レイェフスキの業績に関する説明だけで、何ページも続くということだ。『フェルマーの最終定理』にせよ『暗号解読』にせよ、扱っている内容は数学、もしくはその応用なのだから、やさしい読み物とは言い難い。それでも、驚くほど伝わるし、感動できるのだ。そのためのキーワードは、「読者をわかった気にさせる」と「読者を信頼する」だと言えるかもしれない。
 この記事では、例としてサイモン・シンを取り上げたが、私は翻訳者として優れた原著者に恵まれていると思う。サイモン・シンのほかにも多くの原著者が、一般の読者に数学(や科学全般)を伝えようと力を尽くしている。このたびこの記事を書く機会をいただき、あらためて、著者たちの努力の成果を伝えられるよう、翻訳に努めていきたいと思うしだいである。

(『数学セミナー』2023年5月号に掲載された記事を再編集しました。)

青木 薫(あおき かおる)…1956年生れ。翻訳家。訳書に『フェルマーの最終定理』『暗号解読』『宇宙創成』などサイモン・シンの全著作、マンジット・クマール『量子革命』(以上、すべて新潮社)、ブライアン・グリーン『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』(講談社)など。著書に『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(講談社)がある。2007年度日本数学会出版賞受賞。『新版 科学革命の構造』(トマス・S・クーン著、みすず書房)にて2023年度日本翻訳家協会翻訳特別賞受賞。

遺伝と平等

遺伝と平等

  • ネット書店で購入する