第三回 友だちはできなくて

母へ

更新

前回のあらすじ

一人で眠るようにいわれたあの夜を、今でも覚えています。寝室で、なんて心細いんだろう、と感じました。こんな寂しさをこれから一生感じ続けないといけないなんて。実は僕は大人になった今でも、一人で眠るのが怖いときがあります。

拝啓

母へ

 十二月になりました。寒いですね。
 元気ですか?
 コロナウイルスの流行以降、僕はなんとなく実家に帰るのを控えるようになり、気づけばもう四年あなたに会っていません。だから、会うのが少し怖い気もします。

 先日、ネット上であるグラフを見ました。
 人は一生の間に、年齢が推移するにつれ、一緒に時間を過ごす相手の属性が変動するということを明示したグラフでした。それによれば、幼少期は親や友人と過ごす時間が長いものの、成人すると次第に、恋人や仕事仲間と過ごす時間が増えていき、親との時間は極端に減少していきます。やがて自分の人生の中に子供という存在が登場し、同じようにあっという間に消えていく。老後は仕事仲間と過ごす時間も当然消失し、最後はパートナーとの時間が残るが、死別すると一人の時間が増えていく。
 人生を端的に表現したようなグラフだと感じました。
 あなたは、僕が幼い頃から、数は多くなくていい、信頼できる友人を何人か、そしてたった一人の愛することが出来る恋人をつくれ、と何度も言って聞かせていましたね。
 僕もその期待にこたえたかったのですが、現在の進捗としては大変厳しい状況で、なんだか申し訳ない気持ちです。
 僕は一番親しい友人とも気づけば六年くらい会っていないし、今は恋人もいないし、ほとんど仕事でしか人間関係がありません。仕事では幸い人間関係に恵まれていますが、それは僕がある意味、仕事人間だからで(小説を書くことを仕事と呼んでいいのか、未だに怪しんでいますが)、その反面、プライベートをないがしろにしがちなせいか、私的な交友関係はほぼ皆無…。

 そんな、人間に合格しているとは言い難い僕ですが、今年こそはきちんと仕事を納めて実家に帰りたいなと思いながらこれを書いています。この手紙が公開される頃には年が明けているわけですが。

  *

 さて、前回は私立小学校入学までの思い出を書きました。今回は小学生時代のことを書こうと思います。
 小学校からは電車通学になりました。朝五時に起きて六時の電車に乗る生活のスタートです。電車の中でランドセルを机代わりに勉強している同級生も多かったですね。制服は半ズボンで、冬ともなるとあまりにも寒くて辛かった。
 うちの小学校は給食がなく、基本的には毎日お弁当を持参するということになっていました。そのせいであなたは大変でしたね。あなたは家事の中では料理が好きで得意というタイプで、毎日おいしいお弁当を作ってくれました。一時間くらいかけて朝ご飯と並行してお弁当を作ってくれていた記憶があります。
 小学校に進み、相変わらず僕はいじめられていたので、学校はあまり楽しくありませんでした。むしろ、その激しさはどんどん増していくばかりだったので。
 僕は学校の先生やクラスメイトによく殴られていました。印象に残っているのは、クラスメイトに巨大な石を投げられて避けたら別の子の頭に直撃してしまい、それが僕が急に避けたのが悪いということで先生に怒られたことでしょうか。あれは今考えても、やっぱり、酷いなと感じます。
 一方で、僕の生活態度に非常に問題があったのもまた事実で、授業中に椅子にじっと座っていられない、空気が読めない、などの問題を僕は抱えていました。担任の先生に指示され、僕とあなたは週に一度、学校が指定したカウンセリングルームに通うことになりました。