第五回 学校には行けなくて

母へ

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前回のあらすじ

年末年始とあなたの誕生日を一緒に過ごせて嬉しかったです。東京の生活も、あなたと暮らさない日々にも慣れてきました。そんな日が来るなんて子供のときは想像もしていなかったですね。

拝啓

母へ

 こんにちは。ご機嫌はいかがでしょうか。健やかに暮らしていてくれたら良いのですが。
 先日帰省した際にプレゼントしたスマホの調子はどうでしょう。父から、早速ウイルスに感染したという話は聞きましたが、その後滞りなく使えていたら嬉しいです。
 今日、あなた用の新しいタブレット端末も買ったので、画面保護フィルムとかカバーもつけて、諸々セットアップしてから送りますね。
 こちらの最近の悩みといえば、じゃがいものことくらいです。今住んでいるマンションの同じ階には、共用部の内廊下にずっとじゃがいもの段ボール箱を積み上げ続けている入居者がいます。内廊下なので匂いがこもり、悪臭が酷いです。本当にやめて欲しいなと思っています。
 これを書いている今、季節は真冬で日々大変寒く、凍え震えながら厚着をして暮らしています。あなたも暖かくして過ごしてください。
 早く穏やかな春が来たらいいですね。

  *

 D中学に入学した僕はこれからは安楽な日々が待ち受けていると思っていたのですが、人生はそう甘くはありませんでした。そう、結局のところ、僕はどこに行っても誰と会ってもうまく仲良くするということが出来ないのです。
 そんなわけで、そこそこ苦労して入学したものの、僕は中学に進学後、本格的にいじめられるようになりました。大人になった今の時点から振り返って当時僕がいじめられた主な理由を考えると、僕の人格や言動に人を不愉快にさせるものが多かったこと、多人数のパワーバランスを考慮しながら立ち振る舞うことが出来なかったこと(これは今でも不得意で苦労しています)、単純に喧嘩が最弱だったにもかかわらず解決手段として選択するのが常に暴力だったこと、などが挙げられます。なるほど、こんな子供を育てるのは大変ですね。
(一般論として、上記のような理由があったとしても、いじめは行われるべきではないと考えています。僕が過去を振り返り自省するのはある程度自由だとしても、社会的なメッセージとしては間違っていると思うので、一応、書いておきます)
 当時の僕は少し落胆していました。
 というのは、中学受験をクリアすれば幸せな日々が自分を待ち受けていると考えていたものの、現実はそうではなかったからです。むしろ、自分の人生は、困難さを増していきました。
 学校帰りに殴られたり蹴られたり。そういう学校生活は、楽しいものではないです。そうはいっても、何かしら楽しもうと努力はしてみたのですが。どうも学校のノリには馴染めなかった。
 受ける暴力も激しくなり、物を盗まれたり壊されることも増えました。例えば大切にしていたプレゼントのペンとか、こっそり持ち込んでいたゲーム機とか、レアなカードとか、財布の中身とか、そういうものです。僕は学校に行くのが嫌になり始めていました。
 それに、今思えば、大学への内部推薦があり、受験を意識せずに過ごせる私学の校風というのも自分は馴染めませんでした。そうした環境では、学力やスポーツの能力はあまり価値を持たず、コミュニケーション能力が過剰に重視されると感じました。僕は場に馴染むとか空気を読むとか集団行動の所作とか人と仲良くすることが極端に苦手で、頑張ってもうまく出来なかった。あっという間に仲間外れになっていき、どこにも居場所を見つけられなかった。
 一方で僕は態度も悪く、反抗心が強く、教師のことも信用していなかったので、朝礼や授業はよくサボり、成績は赤点、毎週のように生徒指導部に呼び出される問題児と化していました。不良たちに混じって怒られる日々で、あなたも度々学校に呼び出されて先生に怒られ、大変だったと思います。あの頃、迷惑をかけてごめんなさい。
 父は東京に転勤の内示が出た際、D中学に通い続けたいのであれば転職するがどうするか、と聞いてくれたと記憶しています。僕は、通いたいと答えました。父は五十歳を過ぎて転職を決めてくれましたね。