第五話 満州国と二十面相【7】

乱歩と千畝 RAMPOとSEMPO

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前回のあらすじ

千畝がクラウディアと別れた頃、乱歩も創作に行き詰まっていた。このまま書いていていいのか。悩む乱歩に意外なオファーがきた。

画 鳩山郁子
画 鳩山郁子

     七、

 そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました―こんな書き出しで始まる『怪人二十面相』は、雑誌「少年倶楽部」の新年号にて連載が始まった。
「これまでは少年を探偵にした作品しかなくて迫力に欠けたんです。大人の探偵の活躍する少年ものとなると、江戸川さんの明智小五郎がいいんじゃないかと、そういうことになったんです」
 講談社の大会議室で野間のま社長にそう頼まれたときには、耳を疑ったものだった。江戸川乱歩と言えば世の中に猟奇作家・変態趣味作家というイメージが定着しているはずだ。
「本当に私でいいんですか?」
「乱歩さんがいいんだ」
「ええと…私は萩原はぎわら朔太郎さくたろう君と新宿のゲイバーに出入りしていたこともありますが」
 戸惑って、余計なことまで口にしてしまった。
「う、うん、そういうのは抑えてもらってね」
 とにかく講談社との縁はつながったのだから、と書き上げたのが『怪人二十面相』である。途中で嫌になることなく、連載は順調に進んでいる。
「これ、『屋根裏の散歩者』と同じ明智小五郎?」
 隆太郎りゅうたろうは毎号、読後に、顔をしかめながら訊いてくる。
「『D坂の殺人事件』のときには明智小五郎って、髪の毛をぐしゃぐしゃっ、てやる癖があったわよね? あれ、私、好きだったんだけどどうしてやらなくなっちゃったのかしら?」
 隆子りゅうこは隆子でずいぶん古い話を持ち出してくる。
「父さん自身が禿げちゃったからじゃない?」
「隆太郎。『D坂』のころには父さんもう、かなり薄くなっていたのよ」
 古い読者、特に身内ほどずけずけとものを言うのだからたちが悪い。
 とはいえ『怪人二十面相』は、新しい読者―少年少女には受けが良かった。毎号、掲載後に講談社から「すごい反響です」と連絡があった。特に、明智小五郎とともに活躍する小林少年の人気が高いのだという。明晰な頭脳を持っている少年と、その少年を子ども扱いすることなく対等に接する明智小五郎に、少年読者たちは好意を持っているのだろうというのが編集部の分析だった。
 太郎としては首筋がこそばゆい感じだった。並行して別の雑誌で書いている大人向けの探偵小説の反応はからっきしなのだった。
 結局、俺の小説の作り方というのは、子どもに受ける作品に向いていたということか…。
 講談社からは連載半ばですでに「続編もお願いします」と言われている。卑屈になってもしょうがない。行き当たりばったりの筋ならいくらでもひねり出せるのだ…と、太郎はほぼ機械的に作品を生み出すようになっていき、家計は安定して隆子を安心させた。
 だが、この状況もいつまでも続かなかった。
 昭和十二年、関東軍が盧溝橋ろこうきょうで中国軍に発砲し、日中戦争がはじまった。昭和十三年からは政府による物資統制が激しくなり、さらに翌年にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、日本も続けとばかりに軍国的な風潮が高まった。反戦を訴える者は憲兵に逮捕され、愛国的でないと判断されたものは排除されるようになった。
 昭和十四年が始まってすぐ、太郎は内務省警保局に呼び出された。
 紐で綴じられた資料がスチールの棚に並ぶ、三畳もないような狭い部屋だった。窓はなく、明かりは裸電球一つきりで薄暗い。
 暖房のないその部屋で手をこすりながら待っていると、白髪交じりの頭を丸めた、五十ばかりの男が入ってきた。やせ型だが筋肉質なのが制服を着ていてもわかる。狐を思わせる意地の悪そうな目つきをしていた。
「図書課の吉永よしながです」
 ぶっきらぼうに言うと彼は、机の上にばさりと一冊の本を開いた。以前刊行した短編集、『鏡地獄』だった。
「こちらの本に載っている『芋虫』という作品、全編削除とします」
 吉永は告げた。
「ええと…」太郎は自分の額を撫でまわしながら口を開く。「どこが、いけなかったでしょうか。反戦的でしょうか」
 戦争で四肢を失い、声も満足にあげられなくなった男を主人公としている。それが反戦的だと以前も指摘されたことがあるのだった。
「反戦的とまでは言わない。だが、四肢を失った男の有様があまりに無残に描写されていますね。読んだ青少年の心に、戦争に対する臆病な気持ちを惹起じゃっきする可能性があります。『俺は四肢を失ったがそれはお国のために戦ったからであり、俺に続く者も勇敢に敵に立ち向かってくれ』と、そういう性格の男に書き換えるのなら問題はないですがね」
 それじゃ展開が変わってしまう。黙っていると、吉永はさらに続けた。