「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞&女子大生作家・上村裕香最新作「水随方円」①

「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞&女子大生作家・上村裕香最新作「水随方円」

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イラスト・くまぞう
イラスト・くまぞう

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 父からのメールには「葬儀中の写真はさすがに撮れなかった😭😭」という文とともに、1本の動画が添付されていた。夏生なつおは東京のアパートにひとりだった。泣き腫らした目をこすり、動画を再生する。
 東北の実家の居間が映った。ダイニングテーブルに置かれている、大きなバッグが画角の中央にある。夏生が小学生のころ使っていたシナモロールというキャラもののバッグで、上面にシナモンの顔が印刷され、垂れ下がったうさぎ耳の布だけが後付けされていた。「これしかなかったのよ」と母の声が入った。
 その顔の真ん中につけられたファスナーが、母のぽちゃっとした手によって引き下ろされる。中からあらわれたのは白い箱だった。シナモンの顔から吐きだされた箱は直径20センチほどの円柱形で、片手で抱えるには重そうだった。ごとっ、と大きな音とともに机に置かれる。絹糸の光沢のある感じと薄灰色の菊の紋様、見たことのある紐の結び方。骨壷だった。
 その紐を母が解こうとして、カメラの画角に入ってくる。画面外の父に制止される声が聞こえてきた。
「中身まで見せねでいいって」
「でもお祖父ちゃんの死に顔、見せてあげられなかったのよ」
「それはもう何回も話し合ったろ? 仕方なかったんだよ、コロナだったんだから」
「お祖父ちゃんの最期の姿、見せてあげないと」
「やめとけって、また入れるの面倒だべ」
 と言い争っているのが聞こえたのち、ふっと母の表情に緊張が走った。父が慌てて骨壷とシナモロールのバッグを机の端に避難させる。空いたスペースに飛びこむように机に上体を預けた母が「お父さあああん」と泣き崩れて、映像が途切れた。
 夏生は大粒の涙をスマホ画面に落としながら、メールの返信欄に「お祖父ちゃん😭😭帰省できなくてごめんね😭😭」と打ちこみ、送信した。

 祖父の遺影は、Uber Eatsで頼んだタピオカミルクティーと同時に家に届いた。父のメールから1週間が経ったころだった。夏生はやっぱり下宿先のアパートにひとりだった。はじめ、母は骨を瓶にいれて送ると聞かなかったが、父が宥めすかして、遺影の写真1枚と祖父の大切にしていた本2冊に収めてくれた。祖父は背広姿で、禿頭、細いフレームの眼鏡、手には本を持っているという、生前見慣れた姿で写真に収まっていた。
「あたしにはわからんけどね、『異邦人』はお祖父ちゃんが東北大の卒論でテーマにした本で、もう1冊はお祖父ちゃんの本。なんかあの有名な純文学? の賞とったやつらしいわ。あんた、お祖父ちゃんからよく本貸してもらってたべ。大切にもっときなさいよ。写真も。これしかなくてね。古い人はね、いまの若い子みたいに自撮り? とかしないんだから。あんた、ちゃんと自撮りしとかねとだめよ、いつ死んでもいいように。もうコロナでだれがいつ死んでもおかしくないんだから」
 マットレスに体育座りして、スマホを枕の上に置く。『オカアサン』からの着信は毎日ある。父が会社から帰ってきて消毒しないのあり得ないとか、弟が部活帰りにマックに行ったらしい信じられないとか、最近買った箪笥が思っていたより収納力使いづらいとか、延々と愚痴を聞かされる。
「ちゃんと手洗いうがい消毒してる? 東京はもう3桁いきそうなんでしょ、スーパー以外行かないようにしなさいよ。授業いつからはじまるの。履修登録した」と矢継ぎ早に質問され、「うん、してるしどこも行ってないよ。履修面談が今週あって、来週から授業」と答えた。
 2月、停泊中のクルーズ船で集団感染が発覚し騒がれた未知のウイルスはあっという間に世界中に蔓延し、夏生の高校も卒業式は在学生も保護者も出席しない形で執り行われた。慌ただしく引っ越しの準備をし、東北の地元から東京の下宿先に移ったのが3月の末。
 昨日は全国265人、東京86人。今日は全国378人、東京92人…とテレビに映し出される数字を追いかけているうちに上京第1週目が終わって、6畳の狭い部屋を埋め尽くさんばかりに届いた家具の組み立てをしていたら大学から入学式延期の連絡が来て、タイムラインに流れてきた「コロナが治る水」を無視しているうちに志村けんが死んだ。祖父がコロナにかかったと母から一報が入ったのは、そのころだった。
 大きな灯りがふっと消えてしまったかのように、社会そのものが暗くなった時期だった。テレビをつければ新規感染者数、死亡者数、飲食店の営業自粛、経済損失による経営危機、内定取消、と日々、同じような堅苦しい文字が並んでいる。スマホでSNSを見てもタイムラインにはコロナは中国の生物兵器だとかいう陰謀論、自粛しないインフルエンサーに対する誹謗中傷、帰省して感染した若者への自己責任論によるバッシングが流れてくる毎日だ。
「お祖父ちゃん、なっちゃんに会いたかったべ」
『オカアサン』がとつぜん涙ぐんだような声を出す。夏生はあわてて殊勝に言った。
「わたしも会いたかった。ごめんねお母さん」
「あたしに謝ってどうするの。お父さんは…お父さんが一番、なっちゃんが東京の大学行くのうれしがってたから。うちの一家で文系はなっちゃんだけだったしね。女のくせに理学科行ったわたしなんかより、なっちゃんのほうが親…じゃない、お祖父ちゃん孝行だったよ。なっちゃんは悪くない。ぜんぶコロナのせい」
…うん。ごめんね」
 今度はお祖父ちゃんに向けて、謝る。祖父が亡くなったのは、緊急事態宣言が発出され、全国的に旅行自粛を求められた5月の連休のころだった。自粛要請なんて要請でしかない、帰る、と喚く夏生に、NOを突きつけたのは父だった。
『いまはだめだ』の一点張りだった。『いまこっちじゃあ、娘が東京の大学にいるってだけで職場で病原菌扱いだよ。この時期に戻ってきたなんて知られたら村八分にされる。うちの県で最初に感染した東北大の子はもう退学したって噂もあるし。ぜんぶ噂でしかないよ。んだども、いまはだめだ。こっちに戻ってきても、お祖父ちゃんとの面会はぜったい無理だし、亡くなっても…遺体にすら、会えないかもしれない。おれたちも面会できない状況だもん。仕方ねんだよ。仕方ね…。納得はしないでいいから。いまは我慢しなさい』と言われてしまったら、もう、なにも返せなかった。
 手元にある本からは、祖父の書斎のにおいがした。祖父は仏文学の教授で、文学少女だった夏生に惜しみなく本を貸し、読み方を教えてくれた。カミュを読む高校生なんて周りにひとりもいなくて、夏生が感想を話せるのは祖父だけだった。自分でも小説を書き、研究にも学生指導にも熱心な、夏生のあこがれの人が、祖父だった。
 東京の大学に行きたいと言ったときも、就職で不利だと言われる文学部を志望したときも、渋い顔をする両親を祖父が説得してくれた。夏生が大学に行きたいなら学費の援助もすると言ってくれた。それだけ世話になっておきながら、夏生は死に際に会いに行くこともできなかった。そんな自分が情けなくて、悲しく、コロナを呪いたかった。
 帰りたい、と思う。実家にではない。いつの間にか沁みてきたさびしさに囚われて、身動きがとれなくなっている。自室にいるのに、まったくの異国にひとり取り残されて帰る手段もないような気分だ。帰りたい。どこへかは、わからないけれど。