役と地の文、それぞれの朗読の塩梅が難しかった

 なんと累計950万部を突破された「しゃばけ」シリーズは、『もういちど』の刊行に合わせて、Amazonオーディブルでオーディオブックの配信がスタートし、第1巻の『しゃばけ』を僕が朗読させていただきました。いやぁ、なかなか難しかったです。
 まずは台本ではなく本で、最初は何も考えずに、普通に読み、2回目は自分が朗読しているつもりで、ゆっくりゆっくり読みました。このシーンがはまればうまくいくかなとか、この人物はこの場面が肝だなとか、いかに登場人物それぞれのいい台詞を感じ取れるかが勝負なので、それはそれは真剣に読んでいたのですが、その間、別の舞台の台詞、全然覚えられませんでした(笑)。
 全体の感じをつかんだら、次は個別にこのキャラクターはあの歌舞伎の演目の役に、雰囲気や間の取り方はあの俳優さんに近いかなとか勝手にイメージしてみました。
 歌舞伎では、台詞の言い方と音程で役を表現することがけっこうあって。極端に言えば、若い2枚目の役は高い音、ニヒルで強い役は低い音みたいなイメージがあるので、同じ手法を用いて、この音を出せばこの役だというのが自分の中で出来てくると、朗読しやすくなりましたね。
 それでも、台詞を言った後で地の文を読む時、人物の気持ちを引きずっていい場面とそうでない場面がありますし、地の文に感情を入れ過ぎても入れなさ過ぎても変ですし、その塩梅がなかなか。
 台詞の言い方も、違う性別のやりとりならまだ楽なんですが、成人男性ばかり、たとえば、仁吉、佐助、日限の親分、白壁の親分、藤兵衛お父さんが登場する場面は演じ分けが難しい。けれど、若だんなは唯一病弱という特徴的なキャラクターなので、わりと演じ分けしやすくて、何より妖、人ならざるものの話し方は、歌舞伎の話し方とマッチしているところがありました。難しいお仕事でしたが、様々な面で歌舞伎のお仕事に直結するところが多かったことが、『しゃばけ』を朗読する上での僕の武器でした。
 何より、時代物と歌舞伎は相性がいいです。話し方や音程もそうですが、映像だと所作とか言われるところの型のようなものが歌舞伎では台詞の話し方にありまして、たとえば、親分の話し方はこう、若だんなはこう、手代はこう、というのがなんとなくあるんです。江戸時代には副業がなかったので、自然とその職業ならではの型が形成されていったのですが、それを知っていることが何より、自分の強みじゃないかなって思っていました。だからこそ、そこにこだわろうと。片岡仁左衛門さんに教えていただいたのが、その役の話し方、緩急、音の使い方ももちろん大事だけれども、どういう生活を営んでその話し方に行き着いたのか、そういうところがいちばん大事なんだよ、と。そういう匂いがするように演じなさいと日頃から言っていただいているからかもしれません。「しゃばけ」シリーズの朗読は、僕だけでなく、歌舞伎俳優にとって得意なジャンルのお仕事かもしれませんね。