透明になれなかった僕たちのために

透明になれなかった僕たちのために

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 あのとき、僕は何故そう答えたのでしょうか?
 色々理由はありますが、結局、僕は自分に自信がなかったのです。
 まだあの頃、僕は、自分の意志で何か人生を切り開いていこうという考えを持つことが出来ないでいました。
 自分に軸がなかったので、D中学をやめたあと、何をよりどころにしていいのか、本当にわからなかったのです。
 もしあのまま成長していたら、おそらく僕は、酷く弱い人間になっていたと思います。

 ともかく、そうしたこともあり、僕は登校拒否は出来ないと考えていました。一方で、次第に学校に行かなくなり、休みがちになっていきました。
 無遅刻無欠席で学校に行き続けるとさすがに死んでしまう。殴られ続けるのも結構疲れるし、授業中に殴られていても、一切止めずに笑って流す教師もいたので、体力的にも精神的にも限界だったのです。
 せっかく期待に応えて通い始めたD中学でいじめられていることを伝えると親が悲しむとも思ったし、それに、相談しても結局はロクなことにならないのもわかっていたので、いじめの話はどちらかというと隠すようになりました。
 いじめの話を人にするのは中々難しいです。屈辱的であるとか、それには色々な理由があるのですが、一つ、周囲に相談したところで問題が解決しにくいという側面があります。
 学校でのいじめは徐々に深刻なものになり、僕は孤立していきました。そして、僕は現実生活を頑張ることを諦めるようになりました。

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 うちのマンションのじゃがいもについて、勿論廊下に私物を放置することは禁じられており、せめて匂いのする食品を内廊下に置くのはやめて欲しいと管理会社に何度も相談しているのですが、その度に管理会社が取る対応といえば、段ボール箱に警告の張り紙を張ること、注意の電話をすること、注意の警告文をSMSを通じて送信すること、といったものです。もしかしたら彼は電話に出て柔らかく応対し表面上は謝ったりしているのかもしれません。それで最終的に現実がどうなるかというと、警告の張り紙は剥がされ、じゃがいもの段ボール箱は翌日にはもう一つ増えています。しかしどうやら、管理会社はそれ以上の対応を取るつもりはないようです。
 というわけで、この数年、じゃがいもの段ボール箱が内廊下から室内に片付けられた日は一日もなく、うちのマンションの廊下は臭いままです。こちらが管理会社に相談する度に、その人は怒りを感じてか、じゃがいもの段ボール箱の数を増やしていきます。
 いじめを親や先生に相談すると、要するに、このじゃがいものように事態は推移するので、子供は学習性無力感を獲得し、次第に色々諦めていきます。
(念のため付記しておきますが、これは個人的な体験を情緒的に書いているだけで、一般論として、いじめはまず大人に相談することが大切です。そして大人は、僕も含め、じゃがいもが廊下からなくなるように努力するべきなのかもしれません)

 最近は生活も少し落ち着き、平穏で地味な日々を送っています。まあ、作家が物を書くには、ある程度の暇というものが必要なのかもしれないとは思います。慌ただしい時期よりも、こういうときの方が、振り返ってみれば作家として大事な仕事をしていたような気もするので、良いのかもしれません。
 いつかそのうち何か良い報告が出来たらいいのですが、何もなかったらごめんなさい。
 とりあえず、ぼちぼち頑張ります。

敬具

あなたの息子より

(つづく)
※本連載は不定期連載です。