第五回 “霊験お初”が初登場する短編「迷い鳩」

宮部みゆきのこの小説がスゴイ!

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かまいたち

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 『耳袋』という書名に心当たりのある方は、どれくらいおられるでしょうか。江戸時代の珍談・奇談を千篇も集めた、十巻にも及ぶ書物。現代の怪談を集めたものに「新耳袋」との名が与えられるくらいですから、怪談好き、ホラー好きの人ならご存じの方も多いのではないでしょうか。
 著者は、南町奉行まで務めた根岸肥前守鎮衛やすもりという人物。立身出世も遂げたけれど、巷間こうかんの怪異にことさら興味を示すくらいですから、洒脱な人柄であったようです。
 この根岸鎮衛が、宮部さんのごく初期の短編である「迷い鳩」「騒ぐ刀」の二編に登場しています。今回は一九八六年に書かれた「迷い鳩」の方を紹介しようと思います。
 問屋街である日本橋通町で一膳飯屋を営んでいる、お初とその兄嫁のおよし。姉妹なので店名も「姉妹屋」。当年とって十六になる主人公のお初は、ある昼日中のこと、表を通りかかった商家のお内儀さんらしい美人のたもとにべっとりと血がついているのを発見します。そして、もちろん善意から女性のあとを追いかけて、そのことを教えてあげた。

イラスト 星野ロビン
イラスト 星野ロビン

 するとその女性は、気味の悪い言いがかりをつけられたとばかりに、お初の手を邪険に振り払うのです。
 お初の眼には確かに血と見えたものが、他の人には全く見えていないことがだんだんわかってくる。人垣ができる。巾着切りじゃないかとお初を疑う声も上がる。
 そこに通りがかって事を収めたのが、件の根岸鎮衛なのです。お初とおよしが二人して感謝しつつ名を尋ねたけれど、名乗ろうとしない奥ゆかしさ。兄の直次によれば「お旗本だよ」とのこと。
 人に見えないものが見える「霊験お初」が初登場するこの短編の末尾では、この南町奉行が書き集めている書物について話が及び、「耳袋」とのタイトルがお初の選択によるものだったとの「新説」を記して話が閉じられます。
 件の女人は蝋燭ろうそく問屋・柏屋のお内儀だったのですが、その亭主が原因不明の病におかされてせっている。その看病を任される女中も次々に同じ病に倒れてゆく。どうもそれは人に伝染する悪疫らしい…。昨今のコロナ禍を連想させますね。
 この短編の主人公・霊験お初の物語は、少しだけ設定を変える形で長編『震える岩』『天狗風』の二作を産むことになります。サブタイトルは「霊験お初捕物控」。講談社文庫でたっぷりとお楽しみください。