後編 「読者ハイ」になれる小説

階段を駆け上がって見えた世界

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2016年のデビューからわずか5年で本屋大賞を受賞した町田そのこ氏。第15回「女による女のためのR-18文学賞」でデビュー作の選考委員を務めた三浦しをん氏をお招きし、後半は、物語の書き手を応援する三浦氏の熱い想い、そして「クズ男」を愛してやまないという町田氏のユーモアたっぷりのお話を伺いました。

―三浦さんは辻村深月さんとともにR-18文学賞の選考委員を10年間務めてくださいましたが、選考にあたって心がけていたことなどはありますか? 
三浦 他の賞の選考でもそうですが、受賞作に推すものはいろんな意味での「おもしろい小説」、あと新人賞なので特に、作品から情熱が感じられるかどうかを重視して、辻村さんも私も「これがいいね」って推していた気がします。一推しの作品が違うときももちろんありましたが、その場合も相当議論して、「やっぱりこれだ」と両者納得して決めていました。
 R-18文学賞は「性自認が女性の方が書く、女性のための小説」という規定のみで、内容の自由度が比較的高いためか、応募作がバラエティーに富んでいるし、作者や登場人物の切実な思いがこめられた作品が多いなと感じました。「こうすれば新人賞を取れるだろう」と戦略や小手先で書いているものがない。作者が本当に書きたいこと、気になっていること、今まで感じてきたことが、ちゃんと小説として結晶しているものばかりだった。受賞を逃した作品も含めて、すべて熱い思いがこもっていました。
―新人作家さんたちを送り出すときはいつもどんなことを思っていらっしゃったのでしょうか。
三浦 この賞を受賞してプロになった方たちは、仕事として依頼に応えながら、ご自身の内面の苦しみにもちゃんと向き合って書いていくんだろうなと思うので、本当につらい時もあると推測します。でも多分、苦しくても書かずにはいられない人たちなんだと思う。時に肩の力を抜きつつ、ご自身の気持ちに誠実に、なるべく楽しみながら、末永く小説を書いていっていただければと、いつも願っています。
 町田さんの小説も、人間の繊細な部分を追求していく作風ですよね。もちろん、楽して小説を書いている人は一人もいないんですけど、「内面に向き合う系」を連続して書くのはお疲れになるだろうし、たとえば、思い切ってもっとエンタメに振った作品も読んでみたいなー、なんて思います。今までにお書きの作品においても、登場人物の生々しい感情を描きつつ、同時にユーモラスな瞬間がいっぱいありますよね。だから、深刻さがまるでない、脳天気なエンタメも案外はまるんじゃないかなと、勝手なリクエスト(笑)。
―町田さんにとっては、三浦さんや辻村さんに読んでもらいたいという気持ちが賞に応募する動機として大きかったのでしょうか。
町田 大きかったです。けれど当時の私は、編集者さんの感想をもらえたら満足だと思っていたんですよね。二次選考まで残ると編集者の方がコメントをくれるじゃないですか。そこまで行けたらまた次頑張れるな、と考えていました。万が一にも最終選考に行けたら辻村さんや三浦さんに選評をいただける。そんなことになったらどれだけのものが得られるんだろう、なんてことも。そうしたら大賞をいただき、お二人から「死んだら棺桶に入れてほしい!」と思う言葉までいただいてしまいました。感激、どころじゃなかったです。
三浦 えへへ、ありがとうございます。応募作の「カメルーンの青い魚」への選評で、ほぼ唯一気になる点として、「街があんまり具体的じゃない気がする」と自分が書いたのをすごく覚えているんですよ。その後、応募作も含めて『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』として1冊にまとまりましたが、やはり街の具体名は出されなかったですよね。
町田 北関東というところだけで止めました。
三浦 私が気づいたかぎりでは、『コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店』以外、他の作品でも具体的な地名は出てこない。せいぜい「大分県」とか、それぐらいの漠然とした範囲でとどめている。なぜなんですか?
町田 読み手にはできれば自分の身近な風景を思い浮かべながら読んでほしいなと思っているんです。小説を読んでる時に、物語の舞台として自分の知っている風景を当てはめてもらってもいいのかなと。だから、あえて出さないというか、濁しているところもあるんです。けれどたとえば桜木紫乃さんの小説を読むと、北海道の匂いとか空の色って、わかるじゃないですか。あんなふうに書けたらいいとは思っているんですよね。地名を出すからには、その街の空気、その街に住まうひとの匂いを書きたい、突き詰めたいって思うからこそ、あえてふわっとさせているところもあります。

三浦しをん氏
三浦しをん氏

三浦 なるほど。『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を最初に読んだときは、架空の街でもいいから、やっぱり具体的な地名を出したほうがいいんじゃないかと感じたんですよ。でも、その後に刊行された本を読んでいくうちに、「そうか、町田さんはあえて地名を出さない方針にしてるんだな」と腑に落ちました。おっしゃるとおり、架空であろうと実在であろうと地名をちゃんと出して、いくら街を描写したところで、その場所を知らない人からすれば「情景が浮かばん」ということはあり得る。「何となくあの辺」ぐらいにしておいたほうが、確かに読者にとっては想像しやすいのかもしれません。
町田 
桜木さんぐらい筆力が身に付いたときには、九州のどこかで、その街の空気や空の感じ、気温だったり季節の越し方などを書きたいなとは思うんです。けれど、まだそこまで自分はいけていない気がするんです。未熟というか。重厚な、自分の内面に潜り込んで探るような作品を書こうとすると、満足のいく表現ができないような気がして。でも『コンビニ兄弟』は明るくすっきりとした作品だからか、表現がやわらかくできるし、肩に力を入れず描けている気がします。『コンビニ兄弟』が土地にまつわる苦悩やそこに住まうが故の生きづらさを深く掘り下げた物語だったなら、土地を描いていなかったかもしれません。門司港の空の青さとか、方言とかをどこまで書けるのか、読み手はどう受け止めるのか、というようなことを延々と考えてしまって。
三浦 方言をどこまで忠実に文章化するかは、難しいですよね。その方言を知らない方には、ニュアンスや意味が伝わらなくなってしまうかもしれないから。
町田 そうなんですよ。自分が地名を出してしまうと、どんどんその場所を突き詰めてしまいたくなるし、そうしなくてはいけないと思う。桜木さんの北海道の描き方がすごく好きで、私自身、2回ぐらいしか北海道へ行ったことないのに、手に取るようにわかる。吐く息の白さまで想像できる描写のすごさを知ってしまったから、ちょっと怖くて手が出せないですね、まだ。
三浦 
今後、チャレンジされる時が来そうですね。
町田
 はい、いずれは必ず。
三浦 
架空の街を作り上げるのも面白そうだし。
町田 
そうですね。少しずつステップアップしていきたいです。そして『コンビニ兄弟』もライト文芸だからと慢心せず、もっともっとよりよい描写をし、ほんとは門司港ってこんな感じだと感じてもらえるようにしたいなと思ってます。
三浦 
読書を通して観光気分を味わえるのって、楽しいですものね。でも、『コンビニ兄弟』の1作目を読んでいて、門司の街の景色が十分に脳裏に浮かんできましたよ。
町田
 ほんとですか。